ジャパンヴィンテージを語る
存在を知ったきっかけは兄貴と親戚のおじさん
もう20年以上前のこと。自分がベースを始めたのは、兄貴の影響。プロとしてやっていたこともあり、有用な情報がとにかくありがたかった次第。
当時、ギターをやってみたい気持ちもあった為、どこの楽器がおすすめなのかも聞くわけですが、そこで印象的だったのがこれ。
「古いグレコは良いぞ!」
ジョン・サイクスやゲイリー・ムーアが好きだったこともあり、必然的にレスポールに強い憧れを抱くようになっていた自分。 それもあって、おすすめされたのが、グレコ。
で、面白いことに、古いグレコのレスポール使いの親戚のおじさんが、近所にいるんですよね。若い頃からリアルタイムでずっと愛用していた、まさに生き証人。気さくな人なのも幸い、快く貸してもらえることができました。
一緒に文化祭もやったバンドのギタリストに弾かせてみたら、ま~、ブッ飛びです。
「なんじゃこりゃ!?こんな良い音聴いた事ないぞ!?」
甘く、ぶっとく、パンチがあって、抜けてくる、おったまげなサウンド。自分と同じく、相方もサイクスとゲイリーが好きだった為、ハマらないわけがありません。一瞬で虜になってしまいました。
その時の衝撃と影響から、相方は古いグレコを買うことを決意。当時の愛読書、Player誌の広告を頼りに、東京まで一緒に遠征。結果、サイクスと同じくブラックビューティーなレスポールを入手。
15~16歳の小僧が、何本も何本も古いグレコを試奏、最高の一本を求めるという、今考えても、なかなか異様な光景、ネタにできる話ですね。 でも本当、あのレスポールも凄く良かった思い出。
当時の中古価格で5万円ぐらいだったかな?そんな金額であの音が出せたとか、今振り返ってみても考えられません。
相方も自分も同様、楽器へのこだわりと出音への意識は、グレコのレスポールを知ったことにより、鍛えられてきたように感じます。
・良いものを知ると憧れと探求心が生まれる
・嫌でも欲が出て求めずにはいられなくなる
・良い道具と鍛錬によってより高みに向かう事ができる
完全に振り切れた、とんでもないエネルギーになってましたね。
アンチフェンダー野郎の悲しき敗北
ドリームシアターなどの影響から、関心事は6弦ベースの方に行ってしまった自分。正直言って、ジャパンヴィンテージのベースとは、疎遠もいいところでした。
そもそも、バリバリのアンチフェンダー、プレベやジャズベなど、もってのほかだった人間。
ジャパンヴィンテージのギター、レスポールは認めまくっていた一方、ベースの方には全くと言っていいほど縁がなかったのが、本当の話。
完全にアクティブ派だったことも手伝い、「ベースは新しくなくちゃ駄目だろ!」みたいな意識が強かったりもしました。
そんな中、認識を激変させるベースが登場。アンチな認識、拒絶な流れを完膚なきまでに粉砕したのが、
『古いフェンダージャパンのジャズベース』
自分の中ではもはや、トラウマとすらも言える、この楽器。このブログで何度も触れてきましたが、それぐらいこのベースには参りました。
※参照記事
兄貴の部屋の片隅でほこりを被っていた、このフェンジャパ。「ジャンク同然だろ?絶対良い音なんかしねーだろ?」なんて高をくくってたベース。ただの興味本位で借りてみた、期待値0に等しい存在。
それが・・・
「今まで弾いてきた中で一番良い音しとるやんけ!ふざけんな!俺アホじゃねーか!」
16~17年ぐらい前の体験。音楽学校を卒業後、すぐの大事件でした。
やれアクティブだ、やれスルーネックだ、やれ5弦だ6弦だ、やれ木材がどうだ、そんなマニア気取って語ってたガキに対する、超絶カウンターぶりったらありません。
後に購入した、工房系の高級5弦ジャズベースも出音で圧倒してしまった事件があったり、あれこれ悩むことをアホ臭くさせる存在だったこいつ。
「古い国産楽器恐るべし!」
これ以上ないぐらい、刻みつけられた次第。
基本はリペア前提 ハズレばかりと思った方が良い
絶賛の流れから一転、大体の場合、あまりよろしくないと認識した方が無難。古い国産レスポールを十本ほど購入、ベースも同じぐらい収集したことがある経験から思うに、
『ただの中古』
これを頭から外してはいけないと考えます。
一時期、古いトーカイのジャズベやプレベに凝って何本か入手しましたが、オリジナルのままでは、とても使う気になりませんでした。
極太フラットワウンドを張っても反らないぐらい、めちゃくちゃ頑丈な個体もあったり、ボディもシンプルで素直な鳴りを感じられたり、本体は確かに良いんです。
そのタフさが気に入って、ジェマーソンな仕上げにしたことなんかもありますし、実際、只者ではないオーラを放っているようにも見えます。
ただし、問題はパーツのクオリティ。とてもじゃないけど、そのまま使う気になんかなりませんでした。
全交換したくなるのも当たり前、その金額だけでいくらになるのかと閉口。精度の低いペグ、妙な違和感のあるブリッジ、根本的に何かおかしいPU、明らかにチープでよろしくない。
中には、フルオリジナルのまま、バリバリ使える個体もあるのかもしれませんが、正直、それを求めるのはあまり現実的ではなく思えます。
当時からそんな評価が多かったのか、パーツが交換されまくってるのも常。それが良い方向に出てるかどうか、その判断も重要なポイント。言葉悪いようだけど、博打感がかなりありますよね。
また、頑丈なネックだったとは言ったものの、精度が高いか、フレットがしっかりしてるかなど、そこは別問題。
その頑丈さも言ってみればまぁ、たまたまの当たりだった可能性も高い。復活不能なぐらい傷んでる物があっても、何も不思議ではありません。
むしろ、それが当然だと考えた方が、心構えとして正しいかもしれません。運良く頑丈だったとしても、本腰入れた調整が必要だと前提しておくべき。
「入手価格5万円!」
と言うと「超お得じゃん!」となりそうですが、
「でも完璧に仕上げるまでに10万円以上・・・」
こんなことになると、ちょっと虚しいですよね。冷静になると、構えてしまう面が多いのも、この世界。
自分の出会いと体験を語るのであれば、運が良かったとしか言い様がありません。前述した、友人が買ったグレコのレスポールも、購入時点の段階で、パーツはほとんど交換されてありました。
実用性重視で改造された出物に出会えれば良いけれど、グズグズのままな個体の場合、間違いなく後が大変。実際にお買い得と言えるのかどうか、微妙な点が凄く多いです。
「合計したって15万ぐらいで最高の楽器が手に入るならいいじゃん!」って出会えればいいけど、そんな都合よく上手くいくか、全く保証はできず。
それこそ、「十本買って全部完璧に手入れしてから判断!」なんてやってたら、余裕でオリジナルオールドフェンダー買えちゃうかもしれません。
フェンダーはフェンダー ギブソンもギブソン
優れたコピー品が欲しいのか?それとも、良い音がする楽器が欲しいのか?この辺りも、なかなか微妙な問題だと思います。
疑問視したいのは、こういう幻想。
「ヴィンテージだから鳴ってる!」
「木が乾燥して別物になってる!」
「当時の木材と職人は凄すぎる!」
「憧れの最高の楽器の同等品が超安く買える!」
間違っても、こんな期待は抱かない方がいいでしょう。基本、似た形の別物と認識しておくべきかなと。
どんなに良い音が出たとしても、古いフェンダーやギブソンそのものではない、良くも悪くも別の楽器。
「最高のオールドを超安く!」とか、そういう欲から漁るのは、ちょっと待った方がいい。
繰り返しますが、
『ただの中古』
それも、粗悪品も多くある、リスキーな市場だと考えた方が良いかなと。
手頃な値段で最高の楽器を手に入れたい、完璧に仕上げる楽しみを味わっていきたい、そんな夢や希望が詰めてしまいたくなる気持ちは、本当によく分かります。
実際、物凄い仕上がりのジャパンヴィンテージはありますし、そういう物に出会えたのが、自分の少年時代だったとも思います。
ただ、それはもう、コピーの精度どうの話ではなく、希少性や市場価値云々の点から語るのでもなく、優れた楽器個体そのものとして判断すべきことですよね。
そこを色々混同するから、話がややこしくなったり、変な幻想が生まれたり、妙な市場が生まれてしまうのかと考えてしまいます。
『ジャパンヴィンテージ』って言葉を当たり前のように使っちゃってますが、本音を言うとあまり口にしたくない、安易に使うべきではないと感じるのも確か。
兄貴にしても、おじさんにしても、そんな言葉は口にしたことがありません。
「良い楽器が欲しい?これ弾いてみな!」
こういうノリですすめてくれたから良かった。
言葉は悪いですが、『コピー品』を最高と崇めたり、価値を釣り上げようとしたり、それって何かひっかかる、おかしな話でもありますよね。
実際、ジャパンヴィンテージの呼び方、その時代の楽器に対し、物凄い嫌悪を抱いてる人に出会ったことがありまして、
「誰があんな時代の楽器を良いなんて言い出したんだ!」
「紛い物の無法地帯でどうしようもなかったじゃないか!」
「ろくでもないコピー品が良いわけないだろ!」
話を振ったら、怒られる事態になってしまって苦笑い。
ここで触れているジャパンヴィンテージも、主にコピースタイルの物。それが出てくる以前の楽器、レトロレベルな品については、ほとんど知りません。
どこからどこまでをヴィンテージ扱いするのか、それも実は曖昧。
惚れ込むぐらい良い楽器があるのも確かだけど、それが果たして、金額的な面を無視してでも最高と断言できるのかどうか、理想的な道具として仕上げられるのどうか、よくよく考えてみた方がいいのは間違いありません。
「全部で30万かかったけど最高の楽器になったぜ!」
なんて、一時的にテンション上がった後、
「20万の新品の方が遥かに良かったわ・・」
「30万出せばめっちゃ良い中古買えてた・・」
これじゃ笑えない。
沼に沈む恐怖と快感の先にあるのは極上か蜃気楼か
フェンダーだろうが、ギブソンだろうが、同じこと。ヴィンテージとか言わず、事実を挙げるなら、やっぱりこれ
『ただの中古』
無調整で完璧な個体を探すのは、現実的ではないはず。
言っちゃ悪いけど、ヴィンテージってのは、一種の呪いな気もしてきますよね。最高な物がある分、余計にタチが悪いと言うか、それを求め、狂ってしまうのが恐ろしい。
ただ、フェンダーとかギブソンの場合、
『とんでもなく高いから諦められる』
それで助かるってのも、事実としてありそうです。
60年代前半でしかも、完璧に調整されたフェンダーのジャズベを弾いた際、「うぉ!?やべぇこれ!!」って驚愕しましたが、そこはやはり、100万円クラスのお値段。
どんなに良くても、購入はハナから諦めてたのが、正直な話。あくまでも興味と後学の為の試奏、それで終えることができました。
一方、これがジャパンヴィンテージだと、話が大きく変わってきます。気軽に手が出ちゃう値段であらわれるもんだから、どうしたって気になっちゃいますよね。
ついつい、求めてしまいます。
『掘り出し物』
男のロマン、宝探しの感覚。
楽器いじりが好きだと、全力投球したくもなりますし、それがまた楽しいから厄介。汚くボロかったやつがご機嫌に甦る、その快感ったらありません。
5万円で買った物に20万かけるとか、傍から見れば馬鹿馬鹿しいようだけど、それが最適解なのであれば、何もおかしいところはないし、なんの間違いでもない。
値段の問題で手を入れるかどうかを迷うとか、逆に、その方がおかしいって話にもなってきますよね。
そんな思い入れを込め、最高の一本を所有するのは、間違いなく素敵なこと。他の誰が認めなくても、最高の楽器だと愛用し続けていくという、実にかっこよく、素晴らしい姿勢。
しかし、ここで思うこともあります。その人個人、その気合の入れっぷりを丸ごと、
『ヴィンテージの手柄』
こう変換しちゃったりすると、変な方向に行ってしまうように感じます。
そこから安易な『ジャパンヴィンテージすげぇ論』みたいなものが生まれてしまうのには、非常に強い抵抗を覚えます。
「そこまで手を入れればそりゃ良くなるよね?」
絶対、こういうのもあると思うんですよね。その凄みを生み出してる要因って、本当の部分では何なのかと。
例えばの話、今現在5~6万円ぐらいで売られている新品楽器。それをバッキバキに調整しまくったら、それはそれで、凄く良い物になる可能性だって、当然あるんじゃないかと。
手頃な物に深く手を入れ、最高の状態にまで持っていく驚愕と快感。安い買い物で凄い音を出す優越感。古い国産楽器の評価には、そういった加点も絡んでいる気がします。
その快感を追い求めるか?古い楽器である点に固執するか?最初から最高の物を求めるか?値段もスペックも気にせず純粋にやっていくか?これはもう、本人の好みと意思次第。
だからこそ『古い』という部分、そこに過度な幻想を抱くのはやめた方がいい。幻想を抱くのではなく、見るべきは現実。古くも新しくも、判断すべきことは同じ。
『駄目なもんは駄目』
『合ってなきゃ無意味』
『他人は他人』
ジャパンヴィンテージが良いのか悪いのか問われたら、
『好きか嫌いか弾くかどうかは自分で決める』
実際に弾いて確かめるしかありません。
好きだし興味もあるけど、納得できる使い込んだ楽器を持っている今現在、ヴィンテージ楽器を求めるのは茨の道すぎて、個人的にはノーサンキュー。
遊びとしては最高だけど、自分が進むには逆に贅沢、手が出なくなってる道ですね。かなり道楽的と言いますか、安くも済まないし、お手軽ともいきません。
そこに大金投入するなら、新品で好きな楽器を買います。
超本格的に求めるのであれば、必要になるのは、
『覚悟』
半端に手を出すと、無駄に出費するだけな可能性大。ハイレベルな実用品にしたいのであれば、オールメンテ、オールパーツ交換は前提にしたい。
それでも、めちゃくちゃ良い楽器になるかなんて分からない、現代の製品ではとても敵わない品になるのか、何の保証もできず。
激安で甘~い話なんて存在しないと認識しておいた方が、実際に買って楽しむにも、色々やりやすくなるでしょう。
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上達に悩んでる、退屈さに負けそう、何かヒントが欲しい、もっと捻くれてみたい、疑問も持ってみたい。
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