ベースと左手 (18) 引く・握る・押す 総動員のバーリトゥード

ベースと左手 (18)

 

綺麗事だけでは済まない左手の使い方

 

握力に頼らないフィンガリングを覚えるのが大切だと言った一方、まったく使わないことを意識するのも極端な話と言えばそう。

握力を使うのであれば、指を無理に広げて握ろうとするような無茶な使い方をするのではなく、しっかり確実に押弦できるように自然な形で握って活かすのが望ましいでしょう。

 

指のバタつきを抑えるからこそ力が入れやすい、無駄もなくスムーズに弾けるという話も以前にしました。

指のスタート地点があらぬところにある、いちいち反動や勢いをつけなければ押弦できないのでは困ります。

弦に触れている状態からスッと押弦するだけでも十分。そもそもの話、指をバタバタと動かす必要はないと考えます。

 

ただ、現実問題、ハンマリングやプリングを駆使したり、指板全体を使用する縦横無尽なフィンガリングを実現するのであれば、忙しく動かざるを得ない面も多々あるところ。

指を弦からなるべく離さないのが理想であるとはいえ、ずっと力を入れて押さえているのはちょっと違います。

 

小指で押弦する際、人・中・薬指も連動させれば強い力は生まれますが、その三本の指の力を入れっぱなしにしろというのも疑問。

あくまでサポートやアシストに使うのであって、常に固定しようと力を入れているのでは単純に疲れてしまいます。

 

無駄もぶれもないから理想的かと言うと、そうでもありません。機械にやらせるならともかく、演奏するのは人間です。

「気を付け!」の状態でずっと突っ立ってるのがきついのと同じ。

長時間の間、同じ姿勢を維持するのは辛いし、あまり実用的でもない。どこかで緩めたり遊びがないと破綻するもの。

 

フレットレスなどを弾くなら尚更そうですね。がっちり強く固定してればいいってもんじゃない。

左手を良くする目的は、綺麗な形や動きをつくるということだけに絞ったものではありません。

 

やりたいことを実現するためならば、

 

「使えるものは何でも使うべき」

 

こう考える次第。

 

一つの型の絶対視への疑問

 

『理想的なフィンガリング』

 

ついつい夢見てしまいますし、それを追い求めるのも分かります。ただ正直、一つの方法論だけを求めるのは無駄だとも思います。

自分オリジナルな方法に落ち着くということならともかく、絶対的な型、間違いない正しい方法を見つけようというのは無理ではないかと。

 

たとえばの話、自分は左右共に握力が50kgぐらいあります。特に強くも弱くもなく、平均的なものでしょう。

一方、この半分ぐらいしか握力がない人がいたとした場合、果たして同じ条件で考えてよいものなのかは分かりません。

 

「握力は要らないよ」

 

と言うのは簡単です。以前から話している通り、そう考えてもいます。

しかし、あまりにも非力であったとしたら、問題がある可能性も考えられるのかもしれません。少なくとも、条件が違うことは確かでしょう。

 

身長も体重も骨格も異なる人、手の大きさも指の長さも別物な人など、それら全てをまとめて同じ方法論を適用するのもどうかという話。

 

・あの人が軽くやっていることを自分はできない

・自分が簡単にできることを他の人は苦労してやっている

・どうやったって条件的に真似ができない

 

世の中って本当にこういうもの。

 

無責任なようですが、

 

「これが正しい!」

「あれは正しくない!」

「絶対失敗したくない!」

「正解を身に付けたい!」

 

こうやって一つの正しい答えを求めたところで、試行錯誤もなくそこにたどり着こう、都合よく身につけようというのはちょっと厳しい。

自分が欲しい言葉を誰かが言っていることに期待したり、価値観を他人に委ねたってどうにもなりません。

それが自分にとって合うものか合わないものかは、自分で判断するしかない。

 

「1フレットにつき1本の指を」なんていうあれとか、そもそも無理がある場合も珍しくないでしょう。常にそのフォームを維持するのが理想とか、それはマニュアル的すぎる。

ストラップの長さ一つを取ってみても、好みやスタイルが分かれるこの世界。全てを同じ条件と型にはめようとする方が無理があるというもの。

 

力の総動員が理想的

 

繰り返しますが、

 

「使えるものは何でも使うべき」

 

答えが欲しいのであればこれが最も理想的であると考えます。

否定する意味も理由も価値もないでしょう。

 

体の力や体重を使いたいのであれば、腕や肘、肩、背中を引く。

手の力を集中させたいのあれば、開かず握る。

手、指を開く、握る、押す、ひっかく、乗せる、あらゆる手段を駆使して左手で弦を押さえる、鳴らせるようにする。

 

要するに、

 

『何でもあり』

 

やりたいように自由に動かせるのが望ましい。

全部使えるようにしてしまえばいい。

 

望む結果を遠ざけるのが個性ではない

 

何でもありを実践するにおいて問題なのは、明らかな欠点や弱点を放置して、

 

「個性だ!」

 

この言葉に逃避してしまうことですね。

 

「好きを伸ばす!」

 

と意気込むのも良いですが、その肝心の『好き』が全然伸びてこない、左手の使い方が原因で足を引っぱっているのでは困ります。

 

「太い音を出したい!」  押弦が甘々

 

「速く弾きたい!」 → 力んでカッチカチ

 

「理屈じゃねぇ!」  物理的に具体的にボロボロ

 

これじゃ何一つ良いことがありません。

 

何でもありを勘違いして、

 

『何もしない』

 

こうなってしまうのはどうかと思うところ。

 

・とにかく使えるものは何でも使う

・力も武器も眠ってるなら遠慮せず使って鍛える

・「使えない」じゃなくて「使わない」の選択肢を増やす

 

徹底的に一つを鍛えるもよし。

足りないものは総動員して補うもよし。

人と違うやり方でも結果が出ているならよし。

 

『全にして個』

『個にして全』

 

望みを実現するためなら、使えるものは何でも使うべき。

 

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