ワーウィックの思い出と指弾きへの転向
中学時代の憧れはSpector、そしてWarwick
ベース開始、最初の一本はコンパクトで軽量なアイバニーズ。
その流れあってか、当時憧れたのは小型で良い音がするベース。そこからスペクターに熱い想いを抱くのは必然だったかもしれません。
しかしまぁ、当時は情報と言えばほとんど雑誌だけが頼り。田舎でもあった為、スペクターもほとんど幻みたいな存在でした。
運良く地元の楽器店で出会えたものの、値段は20万オーバー。とてもじゃないけど手が届くような代物ではありません。
本で眺めてるのが常か、試奏するだけで夢気分って感じ。本当に遠い存在だったと、しみじみしてしまいます。
そんな中、情報源として最強に頼りにしたのは兄貴。 東京都内に住んでいただけでも大きいことに加え、元プロだったと来ます。
ま~本当、自分の中では異次元な存在でしたね。
その兄貴が、
「ワーウィックは良いぞ!」
なんて、しきりに話していたもんですから、嫌でも気になってきてしまうわけです。
そして、一体どんなベースなのかと雑誌で見てみたら、
「スペクターじゃん!」
思わず、ツッコミを入れてしまいました。
いやほんと、ぱっと見そのままって感じですよね。最初、同じ会社なのかと思ったぐらいです。ただ・・・ワーウィックには、スペクターにない、大きなポイントがありました。
ワーウィックに憧れるようになった強力な理由はこれ。
『ドイツ製』
さすが、中学生。
無意味にドイツに憧れを持っていたのでした。
サッカーゲームをやるにも、まずはドイツ。キャプテン翼と言えば、シュナイダー。戦車選ぶにも、まずはドイツ。
ジャーマンな存在と知って以来、スペクターよりもワーウィックの方に憧れを抱くようになった次第。
楽器屋でカタログをもらい、毎日のように眺めていたのを思い出します。
Warwick Streamer Stage I
『高校入学祝い』
いや、何とも懐かしい。
そして、素敵な響きですねこれ。
今まで溜めておいた小遣いやお年玉なども合わせ、
【Warwick Streamer Stage 1】
夢にまで憧れた、このベースを買ってもらえることに。
当時、定価が33万円ぐらいだったかな?それが、20万円ぐらいで売ってる店を発見。
泣き落としに近いぐらいな勢いで親に迫ったかもしれません。 16歳でワーウィックの高いやつを手に入れることに成功。
贅沢極まりない話、けしからんってなぐらいですよね。
生意気ついでに、もう一つ言うのであれば、兄貴にもらったBCリッチのガンスリンガーに、限界を感じてたりもしていた当時。
ワーウィックの購入は、ステップアップにもうってつけでした。
「バイトして買えよ!」
なんてツッコミが入りそうですが、ま~、それは言うだけ野暮ってもん。言葉は悪いですが、利用できる環境、人脈があるのならそれは使うべき。
・好意には甘える
・人を素直に頼る
・恩を感じるなら返す
それでいいんじゃないかと。
得られることは、良い音が出るってだけではなし。
人への感謝も強力な燃料。臭いようですが、やっぱり違います。
実際、ここから飛躍的に上手くなっていった確信があります。
Warwickの購入が指弾きへの決定打に
学生ならではの勘違い、イキがりっぽいのが手伝い
「ピックじゃ勿体ない!」
こんなことを当時は考えてしまいました。
今でこそ、ピックで弾くのも好きで受け入れてるし、立派な表現方法、サウンドだと認識してますが、生意気で勘違いな方向に突き進んでしまうのも、若さってやつでしょうかね。
「せっかくの良いベースなんだから指でしっかり弾くべきだ!俺は生まれ変わるぞ!」
みたいノリ、妙なこだわり、変な目覚め、そのまま突っ走り始めました。
ただ、その心変わりについて、一応の本音も言うのであれば、ワーウィックの音がかなりパワフルで硬質に感じた為、それでピックだと辛くなった感があったのも正直な話。
当時、使用していたピックが、これまたイキがりの象徴のような代物。硬く、分厚く、でかいやつを無意味に選んでいた為、それも良くなかったんだろうと思います。
ジャコに代表されるような、フレットレスのサウンドなどにも、憧れ始めていた自分。ゴリッゴリの仕様じゃ、そりゃ苦しくなって当然ですよね。
とにかく、無知の塊だったとしか言い様がありません。 本当はピックも大好きだったくせに、イキってかっこつけてました。
まぁ、そんな下らない理由も絡んでますが、いずれにせよ、ワーウィックを入手してから、指弾きへの移行を進めたのは、確かです。
ピックから指弾きへ
憧れによる指弾きへの目覚め
中学時代から、好みが忙しく変わっていった自分。
高校生になってから、それがさらに加速。
当時、好きだったのが、
【ジョン・ミュング】
【マルコ・メンドーサ】
この三人ですから、ま~やっぱり、ピックでは辛くなりました
他にも、【ビリー・シーン】や【スティーブ・ハリス】にショックを受けたのも、大きかったですね。
「指弾きなんてとろいだけ!」なんて固定観念を、全力でブッ壊してくれました。
それこそ、少年漫画のノリ、
「ピックの方が速い?それはどうかな?」
「か、勝てねぇ・・」
みたいな挑発、挑戦を受けた気分、
敗北感もあったりで、燃えたのなんの。
幸い、指が全く動かないとか、そういったことがなかった為、指弾きへの不安や抵抗ってのは、不思議なぐらい自分の中にはありませんでした。
中学時代から両方やっていたのもありますし、スラップやタッピングなどのテクニックに憧れを抱き始めてたのもあってか、
「指で弾きたい!」
この想いがどんどん強くなっていきました。
ドリームシアターのコピーの開始
当時の相方だったギタリストと共同で譜面を買い、チャレンジ開始したのをよく覚えています。
今の時代だったら、そこまで珍しくはないのかもしれませんが、15~16歳でドリームシアターに挑むというのは、自分らの感覚では、結構な大ごとだったと言えるでしょう。
正直、相当びびりまくりの挑戦でした。
でも本当、上達への熱意、憧れを追いかけるエネルギーってのは、とんでもないもの。恐ろしいスピードで上達していったと断言できます。
最初に覚えた曲がよりにもよって、複雑難解な【Erotomania】
「こいつが弾ければ他の曲だって絶対弾ける!」って確信を得たいが為に、必死こいた次第。
学業もクソもなく、狂ったように練習してましたね。
指が動いたのはゲームをやってたから?
今考えてもよく分からない、指弾きの急激な上達。
何でそんなに指がスムーズに動いたのか?ピックからすんなり移行できたのか?自分で自分に色々疑問が湧くところがあります。
合ってたってことなのか?運が良かったのか?詳細も真実も何ともかんともですが、抵抗も問題もなく、完全に指弾きに移行していきました。
これも本当の話、3フィンガーとかも、そんなに苦ではなかったのが不思議。この辺り、格闘ゲーム、ネオジオの影響が実は凄く大きかったんじゃないかと想像します。
ゲームの話と言えばそれまでだけど、指を高速かつ正確に動かす意味では、無関係とは言い切れない部分があります。
ベースとゲームを繋げるとしたら、小学生の頃から3フィンガーをやっていた為、その流れで指が動くようになっていたのかと、今でも興味深くなる因果ですね。
それこそ、今では指の方が速く弾けるようになっているのだから、面白い。
子供の頃から、ボタン連打で鍛えていた賜物なのかもしれません。 図らずとも、両手を駆使していました。
問題なく動いたから移行できた指弾き
なんともテキトー、いいかげんな話ですが、でも本当、それが一番大きかったんだと思います。
身も蓋もない話、出来ないことをやるって辛いし、続かない。いつまで経っても上手くならないんじゃ、つまんなくなってやめちゃいますよね。
特に不自由を感じない。それどころか、やりたいことができるようになった。出したい音が出せるようになった。
確かな手応えがあったからこそ、問題なく移行できたのだろうと考えます。
もちろん、それだけの練習した自覚も自信もありますし、勉学への関心やエネルギーなど、全て捨てていたと言ってもよいでしょう。
バカみたいに練習してたのも、間違いなく大きな要因、それだけ楽しかったと声を大にできます。
後で考えてみたらまぁ、超非効率だったり、そりゃ怪我するだろってことも多くやってきましたが、それも含めて、とにかく鍛えられていたのも事実。
「ピックより速く弾いてやる!ギターよりもだ!」
みたいな、ありがちな幼稚な対抗心も燃やしたり、燃料も豊富だったんだなと思い返すところ。
「今から指弾きできるんだろうか・・」とか考えませんでしたし、今も昔も『楽しい』ってのは、最強のエネルギーになると確信。
指弾き&スラップにも挑戦開始
当時は「チョッパー」と呼んでた、スラップ。この奏法を初めて知ったのは、親父の知り合いの元プロにちょっと習った時。
そして、ガンマレイのライブビデオにおける、超絶なベースソロに衝撃を受け、強烈な憧れを抱くに至りました。
ま~、あのベースソロってのは本当、とんでもなく衝撃的でしたね。
音を聴くだけでなく、具体的な映像を見てるのにもかかわらず、何をやってるのか全然分からない。全く検討が付かない、異次元のプレイにしか思えませんでした。
そんなわけで、存在を知っても、どうやるのかさっぱり分からなかったスラップ。
前述した元プロの方に、また習ってみようかとも検討しましたが、それをせず転機になったのは、ベースマガジンを読み始めたこと。
中学時代に読んでたいたのは【Player誌】だった為、実はベーマガ、ほとんどノーチェックでした。
で、二冊目に買ったやつだったかな?櫻井哲夫さん、永井敏己さん、下野ヒトシさん、三人それぞれによる超絶技巧デモみたいな付属CDが付いており、それにぶったまげた次第。
中でも注目したのは下野ヒトシさん。いきなり6連ロータリーをかましてくれたあの衝撃と言ったらありません。
おまけに【スラップベースの常套句】なんて教則ビデオを出してると来ました。すぐさま楽器店に買いに行ったのを覚えています。
初の教則ビデオ購入、その情報の詰まりっぷりに感動。
前述した、ロータリー6連フレーズのやり方なんかも分かりましたが、ただ、これについては正直、「見たってよく分かんないんだけど!?」とまぁ、大苦戦させられました。
これですもん、自分よりもさらに以前、都合のいい情報なんて皆無だった頃とか、スラップのやり方なんて分かるわけないですよね。
試行錯誤、苦闘、それだって楽しいことだとは思うけど、さすがに限度はあるよな~と。
映像なんて見れない、音だけしか確認できない、何も分からない手探りとか、キツすぎるとしか言い様がありません。
いやほんと、スラップベースの常套句、大げさじゃなく教科書にしていました。
情報が溢れている現代においては、そこまで貴重な価値があるとは言えないのかもしれませんが、当時の自分にとっては、超ありがたすぎる情報源、入門に最高な教則ビデオでしたね。
「まずこれで勉強だ!」
思いが甦ります。
二兎も三兎も追うのは無理だと感じた
当時の自分が、ピックに対して冷たくなっていった理由・・・
それは指弾き、ピック、スラップ、タッピングなど、様々なテクニックを全て同時、理想通りに上手くなるのは、困難であると思い始めたのが、非常に大きかったと振り返ります。
ドリームシアターのコピーだけでも、超しんどかったですし、それに加え、バリバリのスラップまで身に付けるとか、この時点でもうすでに、破綻を感じ始めていました。
それに加え、ピック弾きの上達も目論むとか、華麗なタッピングも身に付けるとか、そこまで甘くないだろうと、子供でも悟ります。
その痛感あって、指に専念しようと決定。思い込みが激しい、固定観念が強いなど、そういう部分が手伝ったのもありましたし、ピックを下に見ようとしていたのも否定できません。
でもやはり、一番大きかったのは、
「両方都合よく極めるのは無理だ!」
と、判断したのが一番の理由だったと思います。
今だったらまぁ、そんな重く考えようなんてせず、「自由に好きなようにやればいいじゃん!」なんて思ってしまいますが、そういう、がむしゃらに突っ走るエネルギーってのも、時には必要ですよね。
その決断があったからこそ、今現在にも至るタッチの研究に繋がったのかもしれないし、その時の自分がやりたいことをやった結果、今日までベースを弾き続けることができた、楽しみ続けることができたと、確信します。
ピックから指弾きへ完全移行したのは、全く後悔のない正解だったと、断言しましょう!
ピック弾き時代があった事に何の後悔もしてない
そんなこんな、ベースを始めて2年ぐらいは、ピックがメインだった自分。幾つかのキッカケあり、指弾きメインに完全移行を果たした次第です。
指弾きに移行したと言っても、ピック弾きの感覚が今でも役に立っているのは、間違いありません。
当時じゃできなかったピック弾き、異なる表現ができるようになったと、手応えを得ているものもありますし、シンプルにこう言えるでしょう。
「どっちも出来て良かった!」
どっちが上だ、下だ、考えるのも馬鹿馬鹿しい。やりたいこと、出したい音、そのために必要なことを実行、好きなように弾きゃいいじゃんって構えですね。
今後また、ピックの話もすると思いますし、ベースのピック弾きを馬鹿にする人間が嫌いだったりもするので、そこはツッコミ入れたくなるかなと。
自分の場合、指弾きに対するコンプレックスを抱くこととかもないし、無理に対抗する必要も感じない為、その辺、かなり自由が利く方だと思っています。
どっちにも良さがあるし、どっちにも持ち味がある。どっちもかっこいいし、どっちも楽しい。どっちやってもいいし、どっちに興味を持ってもいい。
実に簡単な話、
『ベースが好き』
これさえありゃ、無限に遊べちゃいますよね。
そこ見失っちゃ、何やっても駄目でしょう。
指弾き大してできない・・・
ピック弾き大してできない・・・
なのにどっちか見下す!
ガキにお説教したくなる!
アホ
くだらねー喧嘩してねぇで、ベースもっと楽しめと。
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上達に悩んでる、退屈さに負けそう、何かヒントが欲しい、もっと捻くれてみたい、疑問も持ってみたい。
意味不明な思考、よく分からんけどアイデアが欲しい、たまには真顔になりたい、とにかくベース話に触れたい。
音を太くしたい、根本から良くしたい、そんな方に読んでいただきたい、オリジナルのマガジン始めました。
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