ベースと手のサイズ
考えても無駄
結論、これですよね。
どんなに恨んだって嘆いたってしゃーない。
変えようがないもんはどうにもならない。
自分はこの辺、ミシェル・ペトルチアーニの姿を見て悩むのをやめました。その姿形を知らべず、まずは彼の音楽のみを聴いてみるのもおすすめ。身体の想像なんて全く付かないことを保証します。
「ハンデがあっても頑張ってるのね!」みたいな安っぽい同情心なんか湧きません。そんな発想や偏見すら生まれない凄み、芸術性、感動がペトルチアーニにはあります。
他にもジャンゴ・ラインハルト、XのTAIJIさん、ブラックサバスのトニー・アイオミなど、致命的とも思われる指のハンディキャップを抱えながらも素晴らしい演奏を実現してる人がいる事実。
デフレパードのドラム、リック・アレンなどは何と隻腕。片腕でドラムを叩いています。 彼らに対し才能が違うだのお涙頂戴だの言うのはアホすぎるって話でしょう。
五体満足な時点でもう十分恵まれてます。都合のいい究極の肉体を持ってることになど期待しても意味がない。
出来ないことがあるなら練習すればいい。今ある物をフルに使うのが一番。
厳しい現実も無視できない
根性論、精神論が先行したようですが、そこで止まるのは嫌いなタイプでもあるわたくしポング。現実問題、手が小さいことで厳しく感じる場面はあります。
自分が嘆くことを一つ挙げるならば、好きなコードボイシングを実現するのが困難なのは残念に思うところ。
例えば、4弦12F・3弦14F・2弦16F・1弦13Fを押さえたコードプレイ。非常にお気に入りなんですが、ま~、自分の手じゃキツい。
ハイポジションの方でも厳しいんだから、下のポジションになっていくともう実現不能。
ギタリストの場合、アラン・ホールズワースのコピーなんかをしてみると、そのどうにもならなさに苦しむのではないかと想像。
ライブ後に握手をしてもらったことがありますが、あんな巨大な手の持ち主に会った経験は他にありませんでした。
握手をするつもりが自分の手がすっぽり隠れてしまう。大袈裟ではなく、それぐらいの違いに心底びびりました。
あの人を完全にコピーしようなんて思ったら、そりゃもう、とんでもない大ごとでしょう。
「手の大きさは関係ない!」とか言ってられないどうしようもない壁。どう考えたって苦しい状況、厳しい現実を直視するしかありません。
身体で劣るなら技を高め工夫することが大事
ホールズワースのコピーに大苦戦したエディ・ヴァン・ヘイレン。
その彼が編み出した奏法がライトハンド、タッピングだったという噂。
その真相はどうあれ、
「え・・これ無理じゃね?」
「嘘だろ!?どうやってんの!?」
「うぉ・・マジで分かんねぇ・・」
こんな格闘をしたことは容易に想像できます。
そこで思い付いたのが、
「右手も使って押さえちゃえばいいじゃん!」
こういう話だったとしたら凄く面白いし、素晴らしい発想ですよね。
どうやっても届かない・・・実現できる気がしない・・・指の本数が足りなくすら感じる・・・絶望的な状況の中、新たな選択肢を用いて、それを高めていく崇高さ。
まぁ、そんな美談じみたものではなく、馬鹿馬鹿しいノリ、下らない実験ぐらいな気分で試した可能性もありますし、その詳細については分かりません。
徹底的な合理主義、冷静な判断からの作業だったとしても不思議ではないでしょう。
でも本当、困難に向き合い具体的に解決していくその姿勢。これは音楽に限った話ではなく凄く大事な強さだと思います。
人生、辛く苦しいことがあるのは当然。努力は必ず報われるなんてそんな甘く綺麗な話もない。どうやったって逃れられない現実だって存在する。
だからこそ、自分も道具も含めた合理的判断、必然性を導き出す重要性を感じます。発想も工夫もない怠惰と絶望に満たされた生活、人生を受け入れてはいかんと。
道具の選択も大事
どうやっても演奏するのがキツいと感じるのであれば、楽器のサイズを小さくしてみるのも有り。より軽くより扱いやすい方向を追及してみるのも選択の一つ。
超絶技巧のベースプレイで有名なヴィクター・ウッテン。
でっかいしんどいベースを使用していたのから一転、フォデラが用意した小型シェイプのベースに持ち替え、今に至るという話。
同じくフォデラユーザーのリンカーン・ゴーインズ、マシュー・ギャリソンなども同じく、小柄である現実を見てスケールを短くしたベースを愛用。
これを逃げと見るか攻めと見るかは人それぞれ。
ですが、結果として『攻め』の方に行っていると自分は感じます。
『より良い演奏をする為、毎日快適に演奏する為、もっと自然に弾ける為の楽器を選ぶ』
意外と蔑ろにされがちではないかと。
「練習あるのみ!」と意気込むのも良いけど辛いもんは辛い。「音が良ければ!」と理想のために尽くすのも分かるけど、体が悲鳴を上げているかもしれない。
危険な思考停止、無駄な我慢、努力の押し付けをしてないか、冷静に自らに問いかけてみるのも良い。
前述したコードボイシングではありませんが、物理的に厳しい、現実的じゃない問題が立ちはだかるとなると、気合根性の問題ではどうにもなりません。
自分の場合、そんな積極的にコードを鳴らすようなベースプレイはしませんし、切って捨てても特に問題はないのも事実ではあります。
一方、ミディアムスケールのベースを弾いてみたら印象が変わってしまった、現実味を実感できてしまった、だったら諦める必要はないんじゃないかと色々考えさせられてしまいました。
楽器を弾く側も作る側も、その人個人の体についてもっと向き合うべきなんじゃないか?常識や何となくで済まさず、もっとやれることがあるんじゃないか?こんな疑問が湧いてきますよね。
大きく重いベースが良いのも確かだけど、それを絶対視するのは違う。他の誰でもない自分自身、そこに向き合う試行錯誤が大切だと痛感させられます。
ベース弾きたきゃそれでいい
結局、ベース向きの指って何?
「分からん!知らん!」
こう言うしかないなと。
でかい手の方が有利とか、小さいからこそ小回りが利くとか、色々言えそうでもありますが、それも結局、考えたって無駄ですよね。
自分の体ってのは自分のもんでしかない。他の人の感覚なんてのは分からない。どうしたって今ある物を使うしかない。気に入らないから指を交換なんてことは出来ません。
長らく1フレット1フィンガーの運指が正しい方法だと思っていましたが、それが変わりつつある流れも感じる近年のベース界。
3フレット4フィンガーの方が合理的だとする意見も増えてますし、これは自分も同意します。
これが基礎だ何だと馬鹿正直にルールを守った結果、合理性を失うのは疑問。ルールの方を重視し、やりたいことを実現できないのでは本末転倒。
一つの方法論を絶対視したって、それが自分に合ってないのでは意味がありません。
尊敬、目標、理想、他人の方法に憧れるのもいいけど、それが自分にとって理に適わない、全く当てはまらない可能性もあるから厄介。
結論、と言うには無責任な投げっぱなしですが、最高のベース指なんてもんがあるかいなと疑問になる次第。生まれた時点からそれが備わってることに期待したって無駄。
「ベース弾きてえからベース弾くんだよ!」
これでいいじゃないかと。
継続は力なり。積み重ねていけば肉厚の指先を作ることは可能。弾き続けていれば体もそれ用に変化していきます。
自分の体を使うのは他の誰でもない自分自身。悲しむより嘆くより、上手く使ってあげた方が楽しくなりますね。
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