太い音の出し方を考える (20) タッチとフォームを作り直すには覚悟が必要

太い音の出し方を考える (20)

 

新たな発見

 

先日、久しぶりにジラウドを訪問、タッチのレクチャーを受けてきました。

 

成長と言うべきか?それとも未熟を思い知っただけか?また新たな発見にわくわくしています。教えてもらっても以前では分からなかった部分、感覚的にも全然認識できてなかったことが掴めつつあるかなと。

 

「なるほどそうか!こうすべきだったのか!」

 

こういう新たな気付き、新鮮さを得ることができる喜び。またベースを弾くのも練習するのも楽しくなってきますね。上達の道筋が見えると俄然、燃えるものがあります。

 

タッチとフォームの作り直しという奈落

 

燃えるものがある反面、真っ青になるところがあるのも正直な話。

 

今回の発見については本当、自分の中にある常識を打ち破る必要を感じました。力の入れ方や加減はもちろん、そもそもの指の動かし方も含めまた一からやり直さないといけないかもしれない恐怖。以前にも何度かこういうことはあったけれどこれまた重いやつが来たなと沈みます。20年以上ベースを弾いてきたのにまた根本的な部分を直さないといけないのか?何とも複雑な心境。

 

まさかまさかの発見、受け入れたくなくもある。でもどうやら事実。やりたいことを実現するには避けては通れない道。自然に出せるレベルまでに高めるには長い長い時間が必要。久しぶりに来てしまいそうな全部作り直しの作業。辛さと楽しさと混じって笑えてきてしまいます。

 

意識してやらなきゃ変わらない

 

以前にも話したテーマ。

 

『高めなければ高まらない』

 

現実って本当に残酷。無意識と惰性だとびっくりするほど成長しないから恐ろしい。

 

「やっていく内に良くなる!」

「叩き上げて鍛えられる!」

「俺のスタイルが出来上がっていく!」

 

こんなことを考え練習とライブに明け暮れた過去の日々。

 

その結果は、

 

・音が細くてどうしようもない

・やっつけ仕事で演奏をこなすだけ

・安易で楽な方に逃げる

・個性と音色は機材の方に依存

・無理な弾き方で体を壊す

 

こんな散々な有様。

 

才能も何もない弱者だったってことですね。期待通りの方向には全然伸びず、体だけ壊して終わりかけました。

 

「自然に任せてこそ俺という存在が完成するんだ!」

「誰にも習わない!邪魔させない!」

 

なんて実現できたら良かったんですけどまったく甘くなく撃沈。自分の中の意識と行動を変えたからこそ前に進むことができました。

 

「太い音を出したい!」

 

願い、考え、積み重ねたからこそ。惨状と決別すべく動いたから成果を実感できています。このブログの存在もその結果の一つなんでしょうね。

 

分かっていても求めてしまう気持ちの甘さ、

 

『都合のいい楽なレベルアップとゲームクリア』

 

こんなものがなかった証明と言えそうです。迷走とブレまくりの日々。

 

変えたいなら変えよう

 

数十年に及ぶ長いキャリアがあっても音は細いままというのも決して珍しくはない。変なプライドや固定観念が働いてむしろ変えられなくなってしまう可能性もある。志が高くても環境を変えないことには上手く行かないことも考えられます。忙しすぎる、生活がかかってる、積み上げたものを壊したくない。様々なことが重い枷になって人間はなかなか変われないから難しい。

 

しかしそのままでは本当に大した変化もなく終わってしまうかもしれません。自信を持ってるはずの「俺のスタイル!」というものに心底なんの疑問も感じないか?誰にも真似できない領域に高めた自信と自覚があるのか?本当はもっと太い音を出したい、グルーブしたいと悩んでいないか?

 

正直から向き合ってみると演奏も人生も変わっていくもの。大げさでも何でもなく事実。好きなものを持っている、高められるって幸せなことだと思います。新たな発見と覚悟の必要性にワクワクする快感。しんどいのも確かだけど暗く淀んで退屈に病む感じとは違う。やっぱり楽しい、継続することも苦にならない。

 

『音を太くしたいなら太くなるようにする』

 

思いっきり精神論ですが意識も行動も変えれば絶対に変化が起きます。