ベースが嫌いでミドルが好き?
なぜこんなに低音が嫌われるのか?
「ミドルが大事!」
よく言われていることですし、すごく分かる話でもあるのがこれ。
良いバンド、良いアンサンブルを目指すのであれば、いかにミドルを美味しくコントロールするか、それが大きな鍵になってくる。バンドのために尽くす、アンサンブルの調和を良しとする意味でも、過剰で飽和した低音を出すなんてのは問題外というものかもしれません。
しかしだからと言って必要以上にローを嫌うのもどうかと思うところ。いくら何でも軽い方に寄りすぎなんじゃないかと疑問も湧いてきます。
・とにかくミドルミドルとそこを重点的に考える
・分かりやすくアタックとハイを聴かせようとする
・ベースを弾いてる人間ですら低音を嫌い積極的にカットする
・太い音を出すためのタッチも一般的ではない
など、あまりに低音が邪魔者扱いされるような印象を受けるのも、それを受け入れる姿勢を良しとすることにも抵抗があるわけです。ベースを弾いているのに低音はカットするのが正解だと認識する。とにかく音程感を出すことを第一に考える。これってすごく寂しい話ではないでしょうか?
床や壁がビリビリ振動しちゃったり、ブワ~っと飽和しちゃったり、そういう状態が気持ち悪いのは分かります。ブンブン言ってるだけで何やってるか分からない、ボワボワになって他の楽器の方まで侵食するなど、これが嫌われるのも遠慮したくなる気持ちも確かに分かる。
でも、その場と環境づくりのために自分を犠牲にするとか、顔色ばかりをうかがうなど、それが染みつきすぎてしまうのもちょっと悲しい話。
・環境に合わせて波風立てず順応すべきなのか?
・器用に世渡りしようとする姿勢が正解なのか?
大人な部分からあえて曲がったり捻くれてみたり、ちょっと尖がってみるのも面白いはず。幼稚と言われればそれも否定できません。邪魔で使えないやつ扱いされるのも無理なし。でもやっぱり、素直に器用に受け取れないものが自分にはあります。
ベースの音が綺麗すぎるのではないか?すっきり整いすぎてはいないだろうか?そんな疑問が年々強くなっている次第。
ベースを弾いてるのにベースが嫌い?
・ベースの音って実はよく知らない分からない
・ベースを弾いてるけど低い音はあんまり認識してない
・もっともっと耳に聴こえやすいベースにしたい
意外と珍しくないかもしれないのがこのパターン。でもこれは言うまでもなく寂しい話ですよね。これに加えさらに、「オーディオはオカルト」とか「音が出れば何でもいい」なんて言い出しちゃったら、それこそ低音のない世界になってしまいます。ウワモノならまだしもベースでその認識はまずい。
たとえば、4弦(E)の音を開放で鳴らした場合、基音になる帯域は約40Hzというかなりの低音になります。これについては前回も話しましたが、そこから様々な倍音を含んでいくことでベース独自、その人独自の音になるわけですね。ただ、ベースの本当に低い帯域を再生するって大変です。並のシステムじゃまずまともに出てきてくれません。それを際立たせるタッチの習得も難しい。
と言うことは、ベースを弾いてる人間ですら実は一番の低音を認識していないことが多い、体感的ではなく耳に聴こえる低音域ばかりに気を取られる、そんなことになりがちなんじゃないかと想像します。
低音を求めるどころかギターのようなプレイとサウンドばかり目指す、華やかに煌びやかになろうと努力、低音は邪魔なものだと切り捨て倍音ばかりを強調、アタックを強く出し目立たせようとするなど、こんなことも決して珍しくはないでしょう。
しかしそれというのはやはり、ベースが好きな人間としては悲しくなってくる話ですよね。ベースを毛嫌いしてミドルやさらに上の方で勝負しようとしすぎなんじゃないかと疑問。
せっかくベースって楽器を弾いてるんだから、
『低音』
これに対してもっと関心を持ってもいいんじゃないかと。
縦振動のタッチへの疑念への疑問
「胡散臭い!」
「宗教っぽい!」
「オカルト!」
こんなことが言われていたりもする縦振動のタッチ。文字の世界だけで判断するならばそう感じてしまうのも分からなくはありません。でもまぁ正直言って聞くに値しない疑念の声も多い印象。
これを言ってしまう人ってのは要するに、
『低音を知らない』
『タッチに無関心』
『無知の疑いたがり』
こういうことなんだろうなと。実際に知ってたら存在を全否定するのは不可能でしょう。
さらに加えて言うならば、
・弾き方で音が変わることを知らない
・フルレンジのアンプを弾いたことがない
・反応が鈍く遅い粗悪な回路しか知らない
・ベースのことを知る気もないし関心もない
こうも判断できるのではないかと。
繰り返しますが、実際に体験している、ちゃんとしたシステムを所有している人なのであれば、まず絶対と言っていいほどにタッチコントロールそのものを否定することは有り得ない。
逆にどう否定するのか?どう有り得ないと説明するのか?ちょっと興味が湧いてしまうぐらいです。もう本当、それぐらい低音への関心がない、ベースはどうでもいい楽器だと認識してるんだろうなと、あまりに寂しく泣けてくる話。
タッチで音を変えるのは非常に基礎的な部分の話。より太い音を得ようとする。充実した低音を出そうとする。そこで弾き方について向き合って研究するのは当たり前。
それを真っ先に拒絶、断固否定しようとする人がいるのだから実に不思議。オカルト宗教扱い、邪教徒は許さんと排他的になる恐ろしさ。意味不明な解釈、魔女狩りみたいなことをやって悦に入って何が面白いのか疑問。
そんな人間は放っておいて、
『ベースを弾く人』
『低音が好きな人』
『上手くなりたい人』
もっと楽しく深くベースと共に生きていきたい、それより何より単純にベースが好きだと熱い意志を持つのであれば、縦振動のタッチの習得は問答無用でおすすめ。
低い音って気持ちいいし格好いい。それがしかも大きくキレ良く高速に出てきてくれる。自分の音を自分の手によって自由に変えることができる。タッチコントロールの醍醐味ってそういうもの。ベース弾くのが楽しくなれば人生だって楽しくなって当然。それが気に入らない、胡散臭いと否定したがるのは歪みすぎ。
そんなことして時間も人生も無駄にするぐらいだったら、四の五の言わず弦を垂直に押しこんでみる、まずは実際に音を出して行動することをおすすめします。
もっと低音を出したい
現実的なことや実用性を考えれば、超低音の類とか共振するばかりの不快な帯域なんか削っちゃった方が良いし、セッティング的にもその方が早いのも確か。でもなんかこう、やっぱり腑に落ちないんですよね。
ましてやシャリッシャリしてたりキンキンしてたり、そういう音が美しく良いものだと強調するのは勘弁願いたい。音がでかすぎたりその質も悪すぎたり、小さな音の作り方が下手だからそうやっておかしなことになってしまう面もあるはず。そのしわ寄せで低音を削らないといけないとか、邪険にされ抹殺されるとか、そんな横暴を許していいのかとも言いたくなる。
耳鳴りしたり聴覚に異常をきたす音量と音質が前提、スタート地点がまず爆音にあるとか、それはもう明らかに狂ってますよね。
・音量を出すために音質は犠牲にする
・レンジを狭くして耳に聴こえやすい帯域を強調する
・上だけ聴こえてれば音楽はそれでいい
こんな認識は絶対におかしい。
爆音の魅力なんてのも確かにありますが、そればかり追い求めるのもどうかって話。音だけでかくて中身はスカスカとかただ疲れるだけ。その不快な爆音のためにローカットが正義になるとか、そういうのは是非やめてほしい。
「他の楽器下げてもいい!」
「ベース出せ!」
世の中それぐらいで丁度いいのかもしれません。難聴確定とか耳栓前提とかそれがロックだと言うのも反対です。ベースプレイヤーは人が良かったり話も通じる大人な方が多いとしたら、だからこそもっと声を上げた方がいいんじゃないかって思いますね。
人々がもっと低音を好きになってくれたら必然的にベースの音も太くなっていくはず。
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