恩師の思い出と追悼

音楽学校時代の恩師

 

2012年の過去記事を見直していたら、ちょっと複雑な気持ちになるものが出てきました。

 

我が恩師について話している記事なのですが、これがまさかね。

今ではもう取り戻すことのできない時間と思い出になるとは想像もしてませんでした。

 

今回、追悼の意味もこめ、リライトをして残しておきたいと思います。

 

ちなみに恩師はベースプレイヤーではなくギタリスト。

今考えてもここまで凄い人には出会ったことがない、そんな確信が持てる偉大な人でした。

 

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恩師との食事会

 

果てない追求

 

先日、久しぶりに恩師に会ってまいりました。

いやほんと、そのストイックさと言うか貪欲さと言うか、常に高みを目指す姿勢に改めて圧倒されましたね。

 

出会った時から「この人日本一なんじゃ・・・」とあまりの凄さにブッ飛ばされましたし、今でも雲の上のような存在だと認識しています。

 

あまりにも次元が違いすぎるなと。

 

何が恐ろしいってそれでもまだ、自分にまったく納得も満足もしていないということなんですよ。

さらなる高みを目指すということか、ここ数年はなんと、クラシックギターを新たに習い始めたと聞いてひっくり返りました。

 

講師の方は24歳とのことらしく、年齢差はダブルスコアどころじゃない。

にもかかわらず、教えを乞うて真摯に習うという、その姿勢に脱帽するしかありません。

 

どこまで上を目指そうとしているのか、自分を追いこむことができる精神を持っているのか、自分なんぞには見当もつかない領域に住んじゃってます。

 

「レッスン後に落ち込んで帰るんだよなぁ・・・」

 

っておい!

学生じゃないんですよあなた!?

 

どんだけ上手いんだとか凄いんだとか、もはやそういう次元で語れる人じゃないですね。

 

電気を捨てる


さらに驚愕させられるのは、今まで使っていた楽器をもう弾かなくなってしまったこと。

 

百万円は楽に超えるようなフルオーダーのフルアコを持ってるのにもかかわらず、そっちにはまったく未練も興味もなくなってしまったそうな。

 

改造した今のクラシックギター1本でやっていくことを決意したと聞きました。

 

生音の追求ということなのか、アコースティックの極みに行き着いたということなのか、これもちょっと考えられない話ですよね。

 

「フルアコではどうやっても生み出せなかった世界を手に入れることができた」

 

と仰ってましたが、だからこそ、それを完全に鳴らしきる力を得るためにギターを新たに習い始めたのでしょう。

 

何百万もかけたであろうシステムを今の理想のために切り捨てる。

それを本当にやってしまうのだから恐ろしい・・・

 

ギター歴46年

 

ず~っとプロの世界でやってきて明らかな高みにいるはずの恩師。

音楽学校時代においても口を出せる者は誰一人として存在しなかった人物です。

 

それが今までの楽器にも音にもしがみつかず、新たに貪欲に道を追及していこうというのだから、やはり言葉になりません。

 

ボイシングや技巧をどこまで複雑に高度にできるだの、そういうところはとっくに超越しちゃってると言いますか、逆にもう、そこに限界を感じていたのかもしれませんね。

 

楽器を変え、改めて習い始め、「いかにアドリブで適当に弾いてるか考えさせられた」なんて言っていたことから考えても、自分に足りない何かというのを常に感じていたのかなと。

 

「ジャズ!」と限定した話ではなく、音楽への向き合い方をより深く深く意識し、それを追及しようとしていたのでしょう。

 

どれだけ曲を大事にできるか表現できるか、一つの音に対してどこまで真摯に向き合えるか、より高度にその挑戦を開始したのだろうと受け取った次第。

 

「50歳を過ぎてやっとギターが上手くなった実感が湧いた」

 

凄い言葉です。

一生の重みになります。

あまりに上を行っています。

 

そしてどこまでも純粋です。

 

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時間は有限

 

これを読み直し、書き直し、強烈に感じたのはこれですかね。

誰にでも終わりが来るという、その現実から逃れることはできない。

 

神様のような人だと思っていてもやはり同じ人間なんです。

弱さも絶対にあるし、完璧に作られているわけがない。

悩みがあれば苦労もする。

どんな力を持っていようが所詮、人は人なんだと。

 

世の中、良くない情報が溢れていたり、気持ちをかき乱されることだらけですが、時間が有限であるならばこそ、自分のために時間を使いたいですね。

 

Twitterなどを見ていても本当にそう思います。

誰かのために時間を使いすぎている、気にしすぎている人が多い。

 

誰かが情報を運んできて、それをまた誰かが見て運ぶ。

それが目に入って気を使って、また時間も心も消費してという、その流れがすごく不毛でもったいないことに思えてしまう。

 

この世の中、ぜんぜん甘くなんかないし、厳しく大変なことだらけ。

だからこそ、せめて好きなことをもっと好きになりたい、楽しみたい。

お金だって時間だって、もっと自分の先のために使うべきだし、迷いなくそうありたいものです。

 

恩師よ、安らかに。

 

好きなことを追求する人生、まさにそのものの生涯だったのではないでしょうか。

あまりにも自分勝手な最期を選んだとも感じますが、それもあなたらしいと言えばあなたらしい。

 

人間、ここまで一つのことを高められる、好きになれる。

それをこの上なく体現してくれていたのは間違いありません。

自分はそこまでストイックにはなれないけれど、影響を受けているのは確実です。

 

あなた同様、自分も生涯ベースという楽器を弾き続けますし、好きでいる所存であります。