音を育てる感覚を知る
音数を減らす
どんなに速い球を投げられるピッチャーでも、一切の溜めもなく連続で全力投球するなんてのは不可能でしょう。
「一音一音を大事に!」
よく言われていることですが、意識するだけではいつもと同じか惰性になりがち。それなら単純な話、まずは音数を減らして演奏してみればよい。
実際問題、全ての音を最高に充実させて弾くというのは、あまり現実的な話ではありません。一音を大事にして弾きたいのであれば、自分の音にしっかり向き合うこと。ゆっくり地道に取り組んでいくべきだと考えます。
たとえば、縦振動の感覚を掴むためによくやる練習方法。3弦の5フレット(D)をじっくり弾いていきます。その際、「太くなれ~!」と念じて闇雲に弾くのではなく、
・弦をどうやって垂直に押しこむか?
・どうしたら力を入れずに綺麗に弦を鳴らせるか?
・いかに迅速に指が離れるようにするか?
なんて色々と意識しながら、自分の弾き方と出音に向き合っていきます。
極端な話、「今やってるこの練習は音楽的な行為なのか?」なんて高尚なことは考えず、奏法と音質の純粋な向上を目的に取り組むのも良いんじゃないかと。
ひたすら曲数を覚えて弾けば良いというものでもありません。
曲を覚えて何となくで弾くという疑問
誤解を承知で言うならば、初見の曲にせよ覚えてる曲にせよ、
「自分に出来る事をやる!」
と身構えて弾く場合、そこにはリスクもあるものだと考えます。
要するにです。
『やっつけ仕事』
これになってしまう可能性があるのも否定できない面があるはず。
実際のバンドの中、シビアな現場、様々なことが求められる場面において、ろく身に付いてない未完成の新しいタッチを試してる余裕なんかありません。逆に余裕がある状況だと、「いつもの感じで」と惰性的になってしまったりもするし、このあたりが意外と難しいもの。
いざ曲を演奏するとなると、どうしても無茶を持ちこめないところがあったり、当然、『音楽にすること』が優先事項になってしまう。バンドのためにエゴを捨てるのを悪いことだとは言いません。音楽第一を心掛けた場合、当たり前の意識と行動だとも思います。一方、そればかりでは進めない領域もあるものだと考えるわけですね。
・自分の音を育てる
・自分だけの音を出す
こういった点がおろそかになってしまうような、そうせざるを得ないような、そんな矛盾が起こるようにも感じるから不思議な話。
「フォームもクソもない!」
「本番に間に合えばいい!」
「現場第一!出たとこ勝負!」
こうやって現場で実力が叩き上げられていくのも確かですが、悪い方に出ると前述のようなやっつけ作業になったり、変な癖が付いてしまったりもするから困るところ。
このあたり、先日の話にも繋がるものがありそうですね。使い捨てにされる無個性な便利屋になるのは悲しい話。
一度ついた癖はなかなか取れない
これは本当に厄介ですね。頑固な癖を矯正するのは大変極まりない作業になります。変なこだわりが生まれると頭は固くなるし、遠回りが必須にもなってしまう。
恐らくエレクトリックベースの世界において、
「最初の数年は音を育てる」
こんな風に取り組んできた人はほぼ存在しないかと想像します。太い音の出し方について悩むなんてのも、まさにそれが原因なのかもしれませんね。
そして、その解決のための発想が、
「なんのエフェクターがいいんだろ?」
「音が太いプリアンプが欲しいなぁ・・」
「もっと良いPUがあれば!」
「音が細い!とりあえずブーストだ!」
こんな方向に行ってしまうようだと明らかにまずい傾向ですね。泥沼に足を踏み入れることにもなりかねない。
癖というのは肉体の動きのみならず、思考にも及ぶもの。もっと言うならば、その体を動かす指令は脳が送ってるわけですから、それを変えていくのは容易なことではありません。先日の音楽学校の話ではありませんが、せっかく専門の学校へ教わりに来たにもかかわらずその教えを拒絶するという光景もよく見かけました。
「俺には俺のやり方がある!」
と、最初から習うことを放棄しまうわけです。その結果、入学から卒業までほとんど変わらないのも珍しいことではない。
自分が思うに「俺のやり方がある!」と言っても、
・思考なんかしたくない
・積み重ねなく近道したい
・弱い自分を認めたくない
こういうのは駄目だろうと考える次第。
それはあまりに臆病、向上心も先もなさすぎるだろうと。
じっくり取り組み楽しんでいく
完璧主義と言うか理想主義と言うか、これも厄介な問題ですね。身分不相応に抱えすぎている場合、大体は足枷になるだけだと感じます。
太い音を求め奏法の向上を志す場合、結果がなかなか出なくて苦痛をともなうこともあるかもしれませんが、継続して取り組めば効果は確実に出てきます。その継続が難しいという話であれば、そんなクソ真面目に構えるのはやめて、もっと適当に遊び感覚でやっていくというのも悪くありません。
先日の話みたく、自分をブラックにいじめすぎるのが良いとは思いません。眉間にしわを寄せ歯を食いしばりながら練習したって、そんな大した成果なんか出ないでしょう。
「徹底的に真剣に!」
なんてほど意外と潰れやすい可能性があるから皮肉なもの。
「あせらずてきとーに~」
ぐらいでも実は良いのかもしれません。余程の強固な意志と決意でもない限り人間はそんな急には変われない。
長い時間をかけた練習が性に合わないのであれば、
「短期戦命!」
「超集中!」
こういうスタイルでも良いと思いますし、色々試して自分に合った方法を研究していくのも面白いですね。
この世の中、
「一日8時間練習!」
なんてのが美化されたりもしますが、合わない人間がそれをやっても体を壊すだけ、退屈で惰性になるだけなんてリスクもあるわけです。何がベストかなんて自分で見つけていくしかないでしょう。
いずれにせよ、自分の音が太く良いものになっていくのが分かると、ベースを弾くこともそれだけさらに面白くなっていくのは間違いない。
そしてやはり、
「楽しい!」
この感覚を持つことが何より大切ではないかと考える次第。
ベースの太い音って理屈抜きに良いものです。それを自分の手で生み出せるというのはめちゃくちゃ格好いいことですね。
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