技巧・個性を追い求めるのもいいけどトータルでマイナスになるのは考え物

個性とマイナス放置を考える

普通なベースが喜ばれた

 

超絶上手いはずの人がクビになり、自分が呼ばれた出来事。

友人のバンドをサポートした際、そこで聞かされたのは、

 

「やっぱベースってそうだよな!」

 

超普通~に弾いだけなのに、妙に喜ばれてびっくり。

 

「え?何があったの?」と尋ねてみたところ、なるほど納得。

それと同時に、何とも微妙な気分、青くなるものもあった次第。

 

超絶技巧の前任者

 

・大手楽器店のイベントで優勝

・高速スラップやタッピングはお手の物

・ステージパフォーマンスも派手で華やか

 

ここだけ聞くと明らかに、只者ではなさげ。

相当な実力者に違いないだろう、前任者の方。

 

だったら何か?あまりに人間性が合わない?仲が超悪くなった?要求するギャラが高すぎる?忙しすぎてなかなか絡めない?レベルが高すぎてしまった?

これもどうやら該当しない様子。だったら他の人間を呼ぶ必要はないんじゃないか?ますますそう思えてしまいます。

 

そんな、如何にも凄そうなプレイヤーの何が問題だったのか?

 

①周りの音を全く聞かない

②音が全然聴こえてこない

③弾かない時間が多い

 

簡単にまとめると、こんな感じだった模様。

 

①周りの音を全く聞かない

 

実際に、ライブの音源を聴かせてもらってびっくり。

ドラムと全く合わないどころかどの楽器に対しても合わず、絡まず。バンドではなく完全別個になっている演奏。ベースでこれやられるのは確かにきついなって感じ。

 

正確な演奏が正しいとは限らないし、ハシる、モタる、ゆれる等、それも味わい、それこそがグルーブの肝になると考えるのも有りだとは思います。

一方、そもそも人と合わせる気がない、他の音を聴く気が全然ない、無秩序に音を鳴らすのが良いのか問われたら、それはあまりに微妙。

それを快く受け入れる、心地よいものにするのはなかなか困難。

 

正しそうかと思いきや、実は誤りの元かもしれない意識、

 

「自分の音をよく聴く!」

 

時に、大きな間違いになってしまう可能性もある、厄介な認識。最低限の確保ぐらいの方が正解だとすると、何とも悩ましい問題だと痛感。

自らの音のみに集中、そこのみを優先してしまうようでは、良いバンドサウンドの構築は難しい。

 

どんなによく練習していても、そもそもがズレている、機能しないのは厳しい。せっかく鍛えた基礎も、技術も、全くの役立たずになってしまうから怖い。

 

②音が全然聴こえてこない

 

考えられる要因を挙げるとしたら、

 

エフェクター等で加工しすぎ

・タッチが弱すぎる

・自分の事しか考えてない

 

お約束としては、こんな感じかなと。

 

派手で華やか、ソロ向き、実に見事でかっこいい音。ところが、バンドの中では全く活きなかったりもするから、難儀な話。

単体では良い音なのに、合わせると存在感が皆無になったり、何とも皮肉。

 

これについては、前項とも大きく絡むと申しますか、アンサンブルの構築、周りの音に意識が及ばないと、解決の糸口がなくなってしまうことにもなるから、恐ろしい。

 

「やべぇ!俺の音が全然聴こえない!」

「もっとブーストしなきゃ!音上げなきゃ!」

「すげぇ音にして存在感出すぞ!」

 

「・・お前邪魔・・」

 

こうなるときっついですよね。

 

音はでかいのに、何故か抜けてこない、存在感がない、機能しない。バンドの邪魔なぐらいの音量なのに、大して聴こえてこない、前に出てこない矛盾。

 

「ロック=アンサンブルの崩壊がかっこいい!」とはならないバンドの難しさ。

むしろロックだからこそ、強力な一体感が欲しい。全員の力をまとめあげなければ、ドライブ感も音圧も実現は困難。

ロックに限らず、何にでも当てはまりそうな基本の部分。

 

やるべきこと、立ち位置を間違えると、悲惨な事態になってしまいます。

 

③弾かない時間が多い

 

「何のこっちゃ?」ってなりそうな話。

「哲学?難しい話?」なんて身構えてしまうかもしれません。

 

ところが本当、まんまな話、

 

『弾かない』

 

音を出さない箇所が多々あって驚愕。

 

スペースを作るとか、間が絶妙って話ではありません。本来、刻むべきところで弾かないから、ひっくり返ってしまいます。

ステージパフォーマンスを重視。両手を広げ、大きくアクション、観客にアピール。楽しい時間を作り上げることに専念してか、

 

『バッキングしない』

 

自分の中には存在しないこの選択に驚愕。

 

ボトムのない時間がかなり目立つ、凄まじい気持ち悪さ。

ベースレスなバンドになってたと言っても、過言じゃないかも? 

 

弾きすぎないことが大事?音を詰め込めばいいってもんじゃない?いやいや、これは全然違う話ですよね。

まずは意味のある音、しっかり身のある音を出してなんぼ。あるべきところで存在してないのは、完全に論外。

 

固定観念とか役割を押し付けるな!」 ってことにしても、その楽器の美味しい部分、武器を放棄してしまうのは、何かもう、色々辛い。

「これが俺のスタイルだ!」と誇るにしても、そもそも弾かない、合わせる気もない、もはや楽器として機能してないなど、もはや、どこからツッコんでいいか分からない。

 

友人の心の中にあっただろう声、

 

「まずは普通にベース弾いてくれよ・・・」

 

これが痛烈に聞こえたような気がしました。

 

個性求めマイナス一直線は辛い

 

悪口みたいになっちゃうのは嫌なんですが、でも本当、ちょっと笑えない出来事。

自分自身、速弾きや派手なベースプレイにも惹かれる人間なだけに、戒めの事例として強く記憶に残っています。

 

「個性を出したい!」と意識するのは、凄くよく分かる話。

「人を喜ばせたい!」と実践もするのは、素晴らしいこと。

「俺はベースが好きだ!」と熱中するのも、最高に楽しいと理解できます。

 

一方、それがおかしな方向、悪い印象の方に強く出てしまうのは、よくよく考えたい問題。全く求められない、喜ばれない結果になってしまうのは辛い。

個性云々以前、そもそもの部分が機能してないのでは本末転倒。

 

素晴らしい実力、人を惹き付ける魅力も持ってるはずが、マイナス要素があまりに致命的。欠点があってもプラスに溢れるなんてどころか、使い物にならないと判断されてしまうのだから怖い。 

これについては技巧云々、ベースとしてのポジションがどうのに留まらず、人間そのものを問われもしてくるから、根の深い問題だと感じます。

 

振り返ると、どれだけの人に悪印象を与えてきたのか?無駄に不要に敵を作ってしまったのか?自分だって、最悪な選択をしてきたことがありますし、欠陥だらけな自覚もあります。

だからこそ実感するのは、トータルでマイナスになってしまうことの弊害。そっち側に傾いちゃってると、やっぱり良いことなんかない。 

 

人間、誰だって悪い部分は持ってるもの。それが個性になるのも、一つには真理なのかもしれません。

ただ、その負の部分があまりに強すぎる、役に立たない要素や不快さが勝ってしまう、プラスの面まで浸食してしまうのは、さすがに厳しい。

 

あえて軽いノリで言うなら、

 

「こいつクズだけど上手いし楽しいからいっか!」

「上手くない奴だけど最高に面白ぇからいいや!」 

 

どちらも問題山積、弱点欠点ありあり。

 

にもかかわらず、とりあえず何かいい感じにできる力の持ち主。そういう人って、謎な強さ、楽しさを持っていたりする、世の不思議。

人としてアウトでも、ネタや笑いで済ませられるぐらいの実力と魅力があるなら、話は一変。マイナスだらけをどうにかできる可能性があるのも人間、人の世というもの。

 

結果オーライ、トータルでプラスって、大事なノリだなと。

 

技巧と努力の結果が不快を与えるだけでは悲しい

 

超絶技巧もいいけれど、意外と悪印象に変換されやすくもあるから難しい。そこにさらに、多弦ベースへの強い風当たりなんかが加わると、さらにきつい状況に。

 

「ピロピロくん」

「多弦ベース野郎」

「小賢しい女々しい」

 

こんなこと言われちゃうわけですね。

 

「お前手が動くだけだな」

「弦増やす意味なんかない」

こういうのも実際に経験した言葉。

 

そんな偏見があるならばこそ、しっかり弾けてると、

 

「お!こいつ違うな!」

 

ひっくり返る可能性もあるから面白い。

 

技巧をより際立たせ、凄みを持たせることだって出来る。存在が重厚だからこそ、重さから解放されたプレイが光り輝きもする。

 

他人の声に耳など向けず極限に凝縮、煮詰め煮詰めて、化け物に進化してやるなんて野望があるならともかく、そこまでする覚悟がないならまぁ、無難に自然にこなせた方が良いことってのがありますよね。

少なくとも、「普通にベース弾いてくれ!」って望んでる人、バンド、アンサンブルに対し、そこに真っ向逆らう答えを返し、全く良い成果も何も出せていないのでは、結果は無残なものになるだけでしょう。


・・・考えてみると何とも奥が深い。

 

・個性、財産だと思ってたものに実は大した価値がなかった?

・退屈、無個性だと興味なかったものが実は重要な部分だった?

 

自らの居場所、楽器の機能を壊し、失うことに必死になるって、何とも悲しい話。それを自分でもやってた経験があるだけに、そこから抜け出せなくなる怖さを痛感します。

「上手くなりてぇ!個性を出してぇ!注目されてぇ!」って頑張るほど、実際のバンド、出会う人、周囲は冷めていくという地獄。

 

こういうこと話してると、複雑でシリアスな雰囲気になっちゃうかもしれません。でも、結局のところは、

 

『楽しいかどうか』

 

これだけって気もしますよね。

 

で、その楽しいってことについて、自分個人だけを満たすだけなのとは、違う意味で考えたい。何だかんだ、音楽っていうのは正直なものだと実感。

楽しみも喜びも存在しないよりは、ご機嫌になれる方が絶対良い。身勝手に不快を押し付けていくのは、誰にとっても不幸なことになってしまう。

 

綺麗事ばかりでは疲れます。「みんな仲良く幸せに!」なんて、そう簡単にはいかない。嫌いなものは嫌い、それはどうにもならず。何とかしようと無理に頑張ったって、破綻するのがオチ。 

ならばこそ、せめて楽しく遊べるようにしたい。出会う人達に対し、良い縁を感じるのであれば、尚更ですね。

 

ベースを弾くことで、違和感や不快を届けたいのか?それとも、求められる機能、役割を理解し、そこに貢献するか?本当に音楽が好きなのか、自分を満たす為にそれを利用してるだけなのか?全てを贅沢に得てみせる?実力でねじ伏せて生きていくか?

 

いや本当、楽器、音楽、バンド、奥が深いです。

 

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