ベースと上達 指が動かない・速く弾けない・出来ないと思い込むのをやめる

上達を妨げる厄介な思い込みを外す

自分を自分で貶めるリミッターは不要

 

一番ありがち、イメージしやすいリミッターと言うと、

 

「才能ない・・」

 

楽器と言ったら、真っ先にこの言葉を使いたがる人も多いんじゃないかと。

 

でもこれ、ベースに関して言えば、ちょっと傾向が異なる印象があるのも正直なところ。地道な積み重ねが形になりやすい分、その点について深刻に悩む人って、実はあまりいないんじゃないかとも思ったり。

 

めちゃくちゃシンプルなフレーズでも十分な説得力、音楽的な必然、そのサウンドを堪能できる為、変に悩むより、行動した方が早い。無意識にでもそう考えている、分かってる人が多いのかもしれません。

または、ベースを選ぶ時点でちょっと変わってるか、忍耐強い傾向なんかがあったりして? 

 

一方、そうは言っても、「俺って才能あるわ!」とまでは、なかなか考えられないですよね。特に、テクニカルな面に対し、「無理だ・・」となってしまうのは、珍しいことではないはず。

 

そこで今回、日常生活からのヒント、認識を変えてみたら上達のきっかけになるのではないか、簡単に諦める必要はないんじゃないか、そんなことについて考えていってみたい次第。

 

よくよく考えてみたらと言うか、意識するでも思考するでもなく、当たり前に実践していたことはないだろうか?その応用から、脳のリミッターを外すことができるんじゃないだろうか、探りたいと思います。

 

マウスのダブルクリック

 

「カチカチ!」ってあれ。

 

どう見たって、どう考えたって、高速で指を動かしている、実は凄い技術。ダブルクリック出来てるのに、ベースじゃ全然動かないなんてわけがない。

指で押す動作、瞬時の脱力による元位置への確実な帰還、言葉にしてみると、高度なことをやっちゃってます。

 

ここで「ベースの弦とじゃ全然違うだろ!」ってツッコミたくなったら負け。それは、脳にリミッターがばっちりかかってる、思考に枷をはめてしまっている状態。

 

「応用できないだろうか?」なんてクソ真面目になる必要もなし。

 

これ使えね!?」

 

パッと閃いた感があったら、しめたもの。

好奇心のまま、高揚のまま、すぐ動いちゃうべき。

 

歯磨きのシャカシャカ

 

これも実は、凄い高度なことやってると思いますよね。角度も自然に変えてるし、圧力も自由自在。無意識、日常レベルで実践してる、驚異的な作業。

 

道具を掴んでいる意味では、

 

『ピック弾き』

『弓弾き』

 

この辺り、応用可能かもしれません。

 

歯磨きやってて面白いのは、歯ブラシを指先だけで動かしてるのではないってこと。

腕、肘、肩、もっと言えば、背中の方にもなってくるのかな?意識してみると結構、興味深い動きに思えてくるので、毎日、意識しながらやってみるのもおすすめ。

 

ピック弾きで言うなら、ピックを掴むことばかりに気を取られていないか?手首だけ動かしてやるものなのかどうか?そんなことを考えていくと、面白いんじゃないかと思います。

 

うちわをあおぐ

 

これも、ピックに使える発想になりそうですし、さらに言うならば、

 

『スラップ』

 

応用できないわけがないって感じ。

 

例えばもクソもなく、軽く親指を立て、うちわをあおいでみると面白い。イメージするより、こういうのはもう、やっちゃった方が早いですね。

 

スラップできない原因について悩むと、

 

「脱力できない・・」

「腕がカチコチに固まってしまう」

「手首のスナップが利かない・・」

 

こんなことを深刻に考えがち。

 

そんな時、うちわの発想を得る、そうやって物事を繋げてみると、変わるかもしれません。大袈裟に苦悩せず、ひとまず、涼んでみるのがおすすめ。複雑に悩んでたのが案外、馬鹿馬鹿しくなる可能性もあるんじゃないかと。

 

「無理だ・・」って考えすぎて縛られると、本当に無理になるから、人間って怖い。

 

じゃんけんと数字表現

 

グー、チョキ、パーの使い分け。実は、脳と指を瞬時にコントロールしてると考えます。『数字表現』と言うのは、ちょっとお堅いですが、これはあれ、指で0~5までをあらわす、そのまんまな話。

 

「何名様ですか~?」

「4名お願いしまーす」

 

こういう時、自然に指で4を指すやつ。あれも無意識に瞬時に指を動かしてますよね。

 

馬鹿馬鹿しい話のようだけど、一瞬で判断して指まで動かしているのは、事実。ベースを構えた瞬間、それが失われてしまうのは、勿体ない。

すでに出来ていることなのに、自らを卑下して、リミッターをかけ、可能性を0にしちゃうのは、悲しい話。

 

人間、誰でも思った以上に器用、複雑に指を動かしているもの。

前述した、マウスのクリック、キーボードやスマホの操作、それこそゲームだって同じ。実は凄く技巧的、高速で実践していると言えます。

 

精神論であるとも同時に、事実を見るのも大事。

 

『実はいつも指を速く動かせていた』

 

ベース弾く時だけ、カッチコチに構える必要はありません。

 

小指を立てたまま生活なんかしない

 

これは逆パターンな見方。

 

楽器やっててしんどく感じること、不自然なこと。それは、日常生活においても、きつい可能性が高い。そっちに発想を変えてみるのも、価値があります。

小指がピン!と立っている状態。これを維持し続けるのは、言うまでもなく大変。楽器を構えてようと、そうでなかろうと、そもそもが厳しい。

 

初心者の場合、「小指が上手く使えない・・」と、左手の悩みを抱えるもの。

そこで根性に頼らず、安易に諦めず、「そもそも何で小指にこんな力を込めなきゃいけない状態になってるの?」って考えてみると面白い。

 

小指を立てっぱなしにするのが辛いのと同じく、ずっと強く握りっぱなしにするのも辛い。

小指だけを無理に動かそうとしてないか?缶やペットボトルを潰せるぐらいの気合、勢いでネックを握ろうとしてないか?脇を開きすぎたり、締めすぎたり、根本的に指を動かしづらくなってないか?

そんな疑問を持ったり、問題に気付くだけでも、絶対違ってきます。

 

この辺り、普段の姿勢を見直したりしても、良いヒントになるはず。

やたら猫背、頭・首・顎を前に突き出す癖があるなど、それは楽器云々の問題でなく、そもそも人体によろしくなさそうです。

口元がいつも緊張気味、歯軋りするぐらいに力を入れる、眉間にしわを寄せるなど、これでリラックスした演奏ができるか、非常に疑問。

ちょっと汚い話、トイレでいきんでるような状態で楽器を弾こうとしてるとか、どう考えても無理がありますよね。

 

体に過剰な硬直があれば当然、指だってスムーズには動きません。

普段からカッチコチ+楽器を持つとさらにガッチガチ。それが理想的なフォームだ、姿勢だと認識する人はいないでしょう。

 

『真面目に頑張りすぎ』

 

素晴らしいことなんですが、自らを痛めつけるだけ、結果も出ず、卑下するしかなくなるなど、変な方向にこじらすのは、やめた方がいい。

体も頭も自由に使えた方が楽しいし、その方が健康的に長続きもするでしょう。

 

破滅の美学が好きなんてことだったら、ちょっと話は違いそうですが、そういったことについても、様々な見方があると考えたいところ。

それって本当に生き物として強いのかどうか?真似することなのか?憧れることなのか?かっこいいことなのか?自らが実践してる非効率、結果の付いてこない無理に価値があるのかどうか?

 

足を引っ張る力みについて向き合うのは、凄く大事ですね。

 

反面教師で思考の枷を外すもよし

 

胡散臭さ全開、意味不明にすら感じるかもしれない、今回の話。でも本当、枷を外すことが大事だと捉えているのは、間違いありません。

脳のリミッターやら、思考の枷って何ぞやって話になりますが、実は案外、分かりやすい話なのではないかと思います。

 

例えばの話、

 

「プロになれるわけないし才能も無いのに楽器なんかやってどうするの?何の意味があるの?」

 

こんなことを言われた経験がある人、結構多いんじゃないかと想像。偏見、先入観バリバリ、理解を示そうともしない発言。

これがまさに、脳のリミッター全開状態だと考えてみると、話は早い。

 

ここで、

 

「え?何それ?いきなり全否定?」

「楽器全然やった事ないのにそれ言うの?」

「お前もやってみりゃいいじゃん!

「うわ、相手にする価値ないわ・・」

 

なんてなる人は少なくとも、楽器・音楽に対するリミッターが解除されている、思考の枷が外れている、壁を持たなくなってる状態と言えるんじゃないかと。

 

やる前から諦めてどうするのか?それを堂々言っちゃう意味が分からなくて困惑・・・

それでも音楽が好きだから、言われたまま引っ込むことなんか出来ない。そんな人間に対してでも、音楽の魅力を伝えようとしたり、ついつい熱くなってしまう人などもいるはず。

しかし、いくら話そうとしても、否定ありき、会話にならない。魅力を伝えようとしても、全く受け入れない。敷居を下げようと努力したところで、無駄に終わってしまうのも、お約束かもしれません。

 

「脳のリミッター」だの「思考の枷」なんて言うから、難しくこんがらがっちゃいそうですが、そこにあえて、さらに難しそうな目的、強固な意志を加えるとしたら、

 

『人生を退屈と絶望で満たす脳ミソとの決別』

 

これが重要なんじゃないかと考えます。

やりたいことを持っている、好きな道を好きに歩めるのは、幸せなこと。それは堂々、胸を張っていい。

 

他にも例えば、どこでも見かけるであろう、こんな蔑視や中傷。

 

「宗教!」

「オカルト!」

「〇〇信者!」

 

このリミッターのかかり具合も、なかなかのもの。

 

理解できないものは排除!

気に入らないものは潰してやる!

俺の方が絶対的に正しく優れている!

もう完璧に出来上がった人生を送っている!

もはや学ぶ必要も経験する必要もない!

 

こんな自信に満ち溢れているのも、それはそれで面白いけれど、ただの世間知らずに勉強不足、好奇心も探求心もないあらわれだったりしたら、かなり痛い。

そんな極端な思想を持っている方が、余程に排他的かカルト的。否定、拒絶に特化した狂信的な姿勢だと、疑問を持った方が良い。

 

と、そんなこと言ってるとお堅いので、自分的にツッコむとすれば、

 

「真面目だなぁ!?」

 

なんでそんなシリアスに構えてるのか?自ら敵を探し、敵を作り、必死に戦おうとするのか?その悪意、異常性って、かなり不思議なものだなと。

 

何か新しいことに取り組むにしても、

 

「面白そう!」 

「やってみんべ!」

 

これぐらいのノリでいいんじゃないかと思うんですよね。

 

その結果、

 

 「俺にゃ合わねぇわ!」 

 

ぐらいに後腐れなく、次に進んで楽しく生きた方が、思い詰めなくて良い。

 

他人の反応を過度に気にする必要もないし、くだらない呪縛がないってのは楽。

自分自身でかけた強力なリミッター、重い枷に引きずられるのは悲しい。それで安易に諦めるぐらいだったら、アホな発想でも何でも、推進力に変えられる方が楽しい。

 

退屈な人間の退屈な言葉、足を引っ張る呪いに支配されないようにしたい人生、せっかく楽器やるなら、変なリミッターと枷は外してしまいましょう。

世の中には悪意がある、攻撃もしてくる者がもいると思うならば、尚更、自分自身は自分自身の味方になってあげた方が良いですね。

 

後は、単純な話、

 

「楽器は楽しい」

「音楽は楽しい」

 

なのに、それを利用して他者の攻撃材料にする、しかも、わざわざ文字や言葉にして攻めるとか、そんなアホなことやってるより、実際に音を出して、上手くなって、楽しくなった方が、当たり前に素晴らしい。

 

上手くなりたいならどうするか?

 

「弾け」

 

それでも上手くなれないならどうするか?

 

「考えて弾け」

 

それで迷いが多く生まれたらどうするか?

 

「何も考えなくても体が勝手に動くぐらい弾いとけ」

 

何やってもどうにもならなくなったらどうするか?

 

「寝ろ」

 

人生、楽しみましょう。

 

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上達に悩んでる、退屈さに負けそう、何かヒントが欲しい、もっと捻くれてみたい、疑問も持ってみたい。

意味不明な思考、よく分からんけどアイデアが欲しい、たまには真顔になりたい、とにかくベース話に触れたい。

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練習を1日休むと取り戻すのに3日かかるって言うけど

 

なまじ努力して上達もしたばかりに得たのは怪我と固執だった

 

楽器、音楽やるならグシャグシャから解放されるのも大事