物欲のコントロール
あえて、欲丸出し、わざとってぐらいに物欲を高めてたりする、ここ最近。何度か話してますが、4弦欲が暴走気味になりつつあります。せっかくなんだから、絶対に外さない一本、欲望の詰まった楽器を手に入れようと企み中。
一方、不要な物欲まで高まるのは、あまりよろしくない。そのまま流されてしまうのを良しとしないのも、本音。隣の芝生は何とやら、あれも欲しい、これも欲しいとなるのは、戒めたい。
そこで今回、物欲を抑える方向の話をしたくなった次第。
一旦、冷静にリセットしたくなりました。
物欲を制御する為に
情報を遮断 見なければいい 聞かなきゃいい
嫌でも情報が流れてくる、この時代。
楽器を弾いてて、SNSもやってたら、当然見るだろう光景、
「My New Gear !!」
これの威力って、半端じゃないですよね。
それが例え、好みの楽器じゃなかったとしても、心動いてしまうものがあります。
「一生物!」
「念願叶った!」
「自分へのご褒美!」
こういう言葉は実に危険極まりない。
その喜びの大きさが伝わってくるほど、
「俺も!!」
なんて気分になってきてしまいます。
TVCM、雑誌、SNS、日常生活。ありとあらゆる場面、物欲を刺激されるのが、世の常。その全てを遮断するのは、困難極まりない。
正直、ほぼ不可能だとも思います。情報を断ち切るには、相当な覚悟、断固たる決意が必要だと痛感。
しかし、そうと諦めてしまっては、今後も同じ道を辿るだけになる可能性がある。下手すれば一生、消費の渦に巻き込まれたまま、抜け出せなくなってしまう。
ある種の麻薬であると認識した方がいいぐらい、情報って厄介なもの。
ちょっと極端なようですが、
・楽器販売サイトを一切見ない
・オークションサイトを一切見ない
・テレビも雑誌も動画も一切見ない
こうするだけでも、物欲はかなり変わってくるんじゃないかと。
「物欲を根絶したい!」というレベルまで行くとなると、
ネットをやめる!
こんな選択肢も必要になってくるでしょう。
不可能だとも思うのも正直な話だけど、頷ける答えなのも確かなはず。
良くも悪くも情報が溢れていて、簡単に手にも入ってしまう時代。
「嫌なら見るな!」ではなく、
好きだから見ない
あえての決断、好きだからこそ厳しい判断をすることも、大事かもしれません。
甘く、楽しく、購買意欲を刺激されるのは、非常に怖い。
ごく短い時間軸での関心、中途半端な「好き」にばかり手を出した結果、肝心の部分が薄く粗末になってしまうのは、ある種の悲劇。
SNSの使い方にしても、
・共感を得るばかりが目的になってないか?
・自慢して悦に入ればそれで満たされるのか?
・他人の反応を得ること自体が快楽になってないか?
・コミュニティを求めて物で繋がろうしてないか?
・誰かの行動を追うだけの自分になってないか?
よくよく見直したいところ。
世間に無関心になる 負の情報を遮断する
いきなり何じゃそりゃって話。
でも本当、これは凄く重要な問題であると考えます。
世の中、クソみたいなニュースばかり。不祥事、犯罪、政治不信など、目にしない日、耳にしない日などありません。
情報を意図的に歪め、悪意を持って流すなど、当然にやってる恐怖。
知らない誰かが公開謝罪、それをまた知らない誰かが袋叩きにしてるなんてのも、日常茶飯事。
炎上ってやつがどこかで起きているのも常、顔も声も全く知らない誰かの怒りに同調してる人も、大勢いる世界。
こっちが興味なかろうが、問答無用。嫌でも情報が流れてくるから、本当に厄介。
これの何が問題かって、
『一方的にストレスを植え付けられる』
負の感情を蓄積させられていくから、恐ろしい。
人間、嫌なことがあると、忘れたくなります。ぱ~っと遊んで、晴れやかな気分になりたくなります。あれも欲しい、これも欲しい、ハメを外したくなっちゃいます。
リアルで嫌な思いをして、ネットの世界でも不快になる。
ただでさえ、負の感情を植え付けようと躍起になってる連中がいるのに、自ら積極的に負の世界に飛び込んでいくのは、あまりに不毛。
大袈裟でも誇張でもなく、想像以上に深刻な問題だと考えます。
これじゃ、お金使いたくなっちゃうのも、無理はない。いつも、誰かに欲望をコントロールされ続ける状態、都合よく動かされてることになりかねない。
そのまま何も対策しなければ、ほぼ絶対とも言っていいレベルで、物欲からは解放されないだろうと想像。
人生、嫌なことも大変なことも付き物だからこそ、思い直してみるべき。
・ストレスばかりが満ちてないか?
・ストレス収集装置&拡散装置になってないか?
・ストレス自体がもはや娯楽になってないか?
その解放の術が買い物、物欲発散というのは、ある種の地獄絵図。
事情もよく分からず、妙な正義感を刺激されたり、遊びのように処刑を求めたり、それは何かが狂っている。
「無関心になる」と言うと、言葉が悪いようでもありますが、負の渦に巻き込まれるぐらいだったら切り捨てた方がマシなものって沢山あるはず。
負の情報を遮断
欲望を刺激されない為に、物凄く大事。
前述した、ネット断ちとも繋がりますが、変なブックマークを削除するだけでも、絶対違います。
決まったサイトを見ることを生活習慣、反射レベルで刷り込んでしまうと、考えるより先にクリックしちゃってたりするから怖い。
特に理由はないけど、何となく気になる、ついつい見てしまう、そんな状態。ブックマークを消しても、結局、検索して見てしまうようなら、かなり重症。
無料の娯楽を扱うことに長けた人間は怖い。ワイドショー、ゴシップ臭が強いものなら、尚更そうですね。そこには必ず危険な中毒性が伴います。
・人をどうしたら不快にできるか?
・欲望を刺激できるか?
・負の感情を支配、コントロールできるか?
そんな方向に特化した連中、腐敗集漂う場になど、近寄らない方がいい。
あまりにお手軽に見れてしまう、障害もないからこそ、切り離すのが難しい。魅力的で面白いだけに、めちゃくちゃタチが悪い。
そこに魅入られてしまっているのは、非常に危険な兆候だと考えます。
好きなもの・嫌いなものをハッキリさせる
自分の嫌いなベースをハッキリさせるとしたら、
・24フレット以上
・木材を貼り合わせすぎ
・ジョイントが貧弱
・PUもプリも癖が強すぎる
・レスポンスが鈍重
こういう感じにまとめられます。
幸か不幸か、かなりの数のベースが購入条件から外れる為、楽器販売サイトを見ても、誰かが何かを買っても、物欲を刺激されにくい面がありますね。
「ハイエンドだ~!すっげぇ!」みたいな気持ちは全然湧かず、軽く流すことができます。
一方、好きなベースは何か?
・タッチコントロールが楽しい
・レスポンスが高速
・弾いたそのままが出る
・ボディがよく鳴る
・弾けば弾くほど音が良くなる
これの何が良いって、音色やキャラクターを楽器の方に依存しなくても済むこと。
「自分で何とかせぇや」
丸投げされるのが面白い。要するに、自分が上手くなるしかないと。
この方向性で考えていくと、魅力的に映るのは、頑丈なフェンダー系。ジャズベとプレベが基本、シンプルな方が良い。色はサンバーストか、オイル仕上げが好き。
そこに、独自のノウハウを詰め込み、自分にとってベストな選択肢になったのが、ジラウド。真似できる会社も工房もない為、目移りせずに済みます。
フェンダーシェイプも作ってるから、無理に他を見る必要もありません。独自性の強い個人工房なだけに、偏屈なオタクマインドも満足させられます。
「ジラウドが一番良かった!」
って、自分の中で結論が出てるので、凄く楽ですね。
まぁ、そのジラウドの中だけでも選択肢が色々ある、結局は物欲を刺激されてしまう問題はありますが、それでもやはり、数えきれないぐらいの数の会社のベースを把握するよりは、ブレずに一本道で済むと実感。
曖昧な基準、軸も芯も存在しない価値観のまま、『何か』を求め続けるのは、結構辛い。
この『何か』の正体が謎なままだと、喜びも実は曖昧。満足感も一時的なもので終わったりして、結局は満たされない。
自己分析と言うと、哲学的に感じたり、難しく思えてしまいますが、
「かっけえぇ!」
「だっせぇえ!」
ぐらいでもいいから、『好き・嫌い・苦手』をハッキリさせておきたいですね。
「ジャンル選ばずオールラウンドで便利なのがいい!」みたいな選び方をしたり、本意に沿ってない物を手に入れるのも、個人的には、あまりおすすめできず。
その反動で尖がったやつが欲しくなったり、変な方向で個性を求めたくなったりするので、意外と物欲は抑えられないかもしれません。
悲しい話、機能を沢山詰め込んである物を選んだ結果、シンプルなジャズベ、プレベにサウンド面で惨敗するなど、そんなことも当たり前にあったりするから怖い。
好きな要素が詰まりまくってて、選択に自信もあるなら、迷わず手を出せば良い。
そこで中途半端に多様性を求めたり、汎用性を気にしたりすると、本当に必要な要素が取っ散らかったり、薄まってしまう可能性があります。
逆に、超嫌いな物にあえて行ってみる、知ってみるのも、それはそれで良い経験になったり。
自分にとってはこれがまさに、前述したシンプルなジャズベやプレベ。アンチフェンダーでしたが、その実力にやられてしまいました。
複数のベースの使い分けをするなら、求めている機能、サウンドを把握しておいた方が、行動するのも結論を出すのも、それだけ早くなるでしょう。
欲しいもの、嫌いなもの、必要なもの、求めているものがハッキしてくれば、中途半端な物は必要なくなっていくはず。
『己を知る』
本当に大事ですね。
誰かに憧れるばかり・・・人の反応を気にするばかり・・・実は自分自身に対して無関心・・・それじゃ永遠に流されるままになってしまいます。
他人様より自分をまず知るべき
もう少しで600記事になるこのブログ。
更新三年目にも突入した身として感じるのは、
「俺が楽しめるブログで良かった!」
最上の答えですね。
どういうこっちゃと申しますと、 一番楽しんでるのは自分地震、自分が自分のブログのファンな為、人の反応がなくても続けられるのが、本当に良かったと実感。
なんて言えばいいんでしょうね?
「新しい機材買ったよ~!」
「いいねが沢山付いた!やった!」
「反応あると楽しいなぁ~!」
こうならず、好きにやっていけるのが良いのかなと。余所の誰かの反応欲しさに物欲を向ける、その怖さって絶対あるなと。
それが必ずしも悪いってことじゃないし、むしろ重要なエネルギー源、モチベーションってやつにもなる部分なんだろうけど、でもやっぱり、変な方向に行っちゃうと、色々削られてくようになると感じます。
ブログ記事を沢山書いてきた自分。その間、手に入れた機材も当然あり。自分で書いて、自分で物欲を刺激したのも、否定できません。
ただ、他人を気にせず、本当に欲しい物、必要な機能を判断するという、ブログを書き続けることにより、そこをかなり助けられたように思います。
「もっと良い物が欲しい!」となる気持ちは分かりますが、言葉は悪いようだけど、それって『いいカモ』になりやすいんじゃないかって気もしちゃいますよね。
求める要素を冷静に判断、目的の為に必要な道具を揃える。的確に実行できるようになると、無駄な出費はかなり抑えられることを実感。
よく分からない謎ブランドを入手することに快感を覚えたり、そういった部分に個性を見い出そうとするのは、個人的にはあまり好ましくない。
見栄が全くないってのも寂しいかもしれないけど、人様の反応や優越感ばかりを気にしていくのはやっぱり、不毛に思えてしまう。
また、人様の素晴らしさを自らに求める、当てはめるのは厳しいことを自覚するのも、凄く大事だと痛感。
素晴らしいサウンド、プレイに出会うと、ついつい「俺も!」となってしまいますが、それにより、肝心な部分が薄まってしまったり、高められなくなってしまうのは問題。
なかなか難しいですが、
『自分に出来る事と必要な道具を理解する』
これを何とかして掴むべきだなと。
後は、
『今使っている道具の限界を見極める』
これも凄く大切だと考えます。
工夫が先行しない、道具の方ばかりに目が行ってしまうようでは、やはり、物欲と消費の渦からは抜け出せなそう。
困ったらベース探し、困ったらエフェクター探し、困ったらコンプ探し、プリ探し、アンプ探し、自らを原因に置かず、要因を外に求めて解決するのかどうか、逃げ続けるには限界があります。
こういうことを話してると、どうしてもこう、堅苦しく面倒そうな内容になっちゃいますが、思うに、そこで「何も考えたくない!」となってしまうのも、ストレス蓄積の傾向、発散を渇望している状態の一つなのかもしれません。
どんな優れた人格者でも、達人でも、疲れる時はある。その疲れた瞬間、その隙、付け込まれる可能性はある。
欲望を解放する口実、キッカケは、いつでもどこにでも転がっている。思考、理性を放棄した結果、選択を誤ってしまうかもしれない。
体力、気力を消耗している時だからこそ、強い意志で己を理解できるよう、コントロールできるよう、意識しておきたいですよね。
もう一つ言うならば、そこに陥らないよう努力をするのも、根本的な対応策、自衛の方法なんじゃないかと思います。
まだまだ体力も気力もある状態ならば、改めて意識しておきたい。
・負を生み出す存在の正体を知り、なるべく距離を置く
・負の感情が蓄積しないよう、生活習慣を変える
・負の情報を流し込まれるより、自ら楽しい情報を発信する
・その楽しい情報の発信を刹那的なお金の発散と物に頼らない
こうして言葉にしてみるだけでも、認識は変わっていきます。
最後に、20年以上ベースを弾いた身、300万は軽く使っただろう身から経験した事実を述べ、この記事を締めたいと思います。
物では満たされない
100本ベース買おうと、1000個エフェクター揃えようと、1000万使おうと、練習しないんじゃ上手くなれません。それを十倍にしようが、百倍にしようが、同じこと。
『0は0』
物が主役、自らは無価値・・・
そんな人生を送らないようにしたいですね。
合わせて読みたい
オリジナルマガジン
上達に悩んでる、退屈さに負けそう、何かヒントが欲しい、もっと捻くれてみたい、疑問も持ってみたい。
意味不明な思考、よく分からんけどアイデアが欲しい、たまには真顔になりたい、とにかくベース話に触れたい。
音を太くしたい、根本から良くしたい、そんな方に読んでいただきたい、オリジナルのマガジン始めました。
【ベースポムジンおすすめ記事】