真似と格好と上達
真似をしてみることは大事
自分がかっこいいと思う人の真似をするのは実に話が早い。見た目でもよし、音でもよし、使う道具でもよし。動きでもなんでも『良い』と感じる部分を素直に参考にする。
・具体的なイメージがある
・理想に向けて突き進める
・好きなものをはっきりさせておく
これだけでも絶対違います。何も分からず右往左往するより、お手本があった方が良い。めちゃくちゃ好きなものだったら尚更。
スタートダッシュを成功させる意味でも真似から入るのは非常に効果的。変にテクニカルに考えるより遥かに分かりやすいし楽しくなる。
目で学習することも大事
「目で盗め!」と言うのは個人的に嫌い。無責任に放置して何も教えないのはいかがなものかと思うところ。
一方、物事を学習するに視覚が大事になるのも間違いない。
音楽の世界、ついつい耳の方にばかり気が行ってしまいそうですが、分からないなら見ちゃった方が早い、目で学んだ方が早く理解できることも沢山あります。
ベースの話で言えばスラップなんかまさにそうですね。例として自分の動画を挙げるならこの弾き方。
親指で弦を叩き、人差し指で引っぱりもする。ベースで独特の打音を出す弾き方。今では当たり前に認識される奏法です。
ところがこれ、視覚的な情報がまったくなかったら実現は困難。音を聴くだけでは何をやってるかよく分かりません。
正直、見たってよく分からないことも沢山あります。
実際、ろくな教則本も存在しない、映像を手に入れることすらできなかった時代では、相当な苦労と試行錯誤を強いられていた様子。
『黒人特有の音』みたいに認識されたり、「日本人じゃできない・・」なんて感じに諦めた人なんかもいるんじゃないかと想像。
それを考えれば本当、実際にやり方を見ちゃった方が早いですよね。「あ、親指で叩くんだ。やってみよ!」って真似してみるべき。
今の時代、ネットで情報はすぐに得られます。
どの弾き方がいいか? かっこよく感じるか? 憧れるか?それを判断する材料もいくらでも存在している。
耳の情報に集中するのもいいけど、目の情報を無視してもらうのは困る話。
動きを真似してみることは本当に大事。複雑に悩んでいた問題が馬鹿馬鹿しいほど簡単に解けることも珍しくありません。
かっこつけりゃ上手くなる
「下手だと思われたくない・・」
「恥をかきたくない・・」
「自信がなくて怖い・・」
こう思うなら話は早い。
練習すればいい。
かっこいい自分を思い描いて努力すればいい。
イメージできないなら憧れの人の真似をしてみれば良い。
変にこじらせると痛い方向に行っちゃう危惧もありますが、それも考え方次第。
『自分に自信がある』
『自分が好き』
『好きな事やってる』
それがあらわれているのだとしたら、凄く良いことなんじゃないかと。
「かっこつけずに純粋に!」なんて自然体を目指すのもいいんだけど、それだとなかなか『入り込めない』ってのはありますよね。
「もっとかっこよく!」
衣装にこだわるのでもなんでもいい。鏡見ながら自分を格好よく見せる方法を研究してみるのもいい。理想と程遠いヘンテコな姿だったら赤面して修正を開始するはず。かっこつけることを意識していくのは大事。
最初はつまらない見栄でもなんでもよし。もはや疑問を持たないぐらいに高められればしめたもの。
徹底的なレベルでやっていけばそれは立派な個性、スタイルの確立にもなる。
それこそ、「音楽は純粋だ!」みたいな主張をブッ壊すつもりぐらいになるのも良いかもしれませんね。自分をかっこよくしたい欲望全開でもええやんけと。
みっともない姿を晒したくないなら、そうならないように努力すればいい。
失敗したら改善する
どんなに多大な努力を積み重ねようが失敗は付きもの。失敗しないために沢山練習したってしょせんは人間。絶対どこかでやらかしてしまうのが宿命。
まぁ本当、あえて軽く言ってしまいますが、やっちゃったもんは仕方ない。それを次に活かせばいいだけですよね。
「それじゃ甘い!絶対に失敗は許されない!」と勝負したいんだったら覚悟を決める。理想を実現できるだけの修練を徹底的に積んでいくしかない。
完璧に真似してかっこよくなってるつもりが、いざ確認してみたら目も当てられないクソダサ状態だったとか、これがま~、珍しくなんともなかったりするから恐ろしい。
で、そのクソダサをどう改善していくか、そこが勝負になってくる。そもそも出来ないこと、合わないことに気付くのも大事。
「これ、俺がやっても一生クソダサだよな・・」って明らかに向いてないことに気付きやめるためにも、失敗することは大切だと考えます。
もちろん、「まだまだこれからだ!もっと行けるぜ!」とより好きなものを突き詰めていくのもよし。むしろ、それを強化するためのきっかけだと認識すべきでもありますよね。
人生、トラウマ級の失敗というのも避けられないものかもしれませんが、それに怯えるならばこそ小さな努力と失敗の積み重ねは糧になる。
自分の話をするならば、ある仕事を引き受けた際、
「あぁ・・本番が怖ぇよ・・」
「もう隕石でも降ってこねぇかな・・」
「頼むから中止になってくれ・・・」
本気でこう願ったり怯えた事実。布団にくるまって震えて過ごしたことなんかもあったり。それでも覚悟を決め練習漬けになり、何とか成功までもっていた次第。
ああなるともう『不安もモチベーション』って感じでした。
失敗するのも失敗を恐れるのも、実はそんなに悪いことじゃない。理想論でもありますが、全てを糧にしてしまう強さが身に付いたらもはや最強ではないかと。
人の真似は嫌だって考えるのは案外皆同じ
「人と同じなんて嫌だ!」
凄くよく分かるこの気持ち。
自分も明らかにそう考えるタイプの人間です。
一方、最近になって変わってきたのは、
「あれ?みんな同じこと考えてね?」
という疑問が湧いてきたこと。
「人と同じは嫌だ!」
「かぶりは許せない!」
「個性的でいたい!」
こう反骨心を持つのはいいんだけれど、それで好きなものまで歪めてしまうのは問題。
・本当は好きなのに周囲を気にして遠ざけようとする
・自分には必要のないものだと思いこもうとする
・斜に構えて捻くれて逆に身動きとれなくなる
こんなことで果たして個性になるのだろうか、楽しくなるのだろうかと疑問が湧いてきたわけです。
そんなことになるぐらいだったら、
・どうせだったらとことん好きになってしまう
・人の真似とかなんとか気にせずやってみる
・いちいち周りに影響されずに突っ走ってみる
こっちの方が遥かに良いんじゃないかって気がしてきた次第。
個性を出したいと努力するのは素晴らしい意識。それを積み重ねていくのも大事。「よりかっこよく!」と生きていけるのは尊敬できる姿勢でもあります。
一方、「もっとかっこよく!」という理由ではなく、周りのことばかり気にしたり、人の評価ばかりを目的に動いているようだと、いちいち認識を歪める必要がありそうで面倒臭い。
ましてや、自分の好みまで歪めて決めようとするなんてことだと、個性を生み出すどころか楽しみまで失ってしまうように感じます。
それだったらやっぱり、憧れと希望たっぷりに真似しまくるぐらいの方が良いですよね。
いくらやったってどうせ本人になれるわけじゃないんだし、どこかで『自分は自分』だと気付くことになるのだから、『好き』も『楽しい』も無理に捨てる必要はない。
「人の真似をする」と言うと物凄くかっこ悪い、みっともないような姿勢にも聞こえそうですが、それが本当に好きなんだったら遠慮なくやればいいじゃないかと。
そこから断固反発するのも自由。失敗しまくって遠回りするのも糧になる。変に格好つけない方がかっこよくなったなど人生そんなもの。
自己の確立に奔走するのもいいけど、案外、本当に好きな何かってのは分かりやすい衝動の中に隠れているものかもしれません。
これまた自分の話をするのであれば、音も形も役割も全て含め、
ベースが一番好き
この答えが分かりやすくて良かったですね。
やっぱたまんねーもんがあります。
その『たまんねーもん』は絶対大事にした方が良い。
それを地道に磨いてくことが楽しみにもなる。
『好きこそ物の上手なれ』
まさにこれ。
この言葉に偽りなし。
真似上等。
かっこつけ上等。
失敗上等。
言ってる本人は大して出来てませんが、この理屈に間違いはないでしょう。楽器やるなら好きすぎるものがある、何なら自分が好きすぎて酔うぐらいで丁度いい。
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