【2013年の記事をリライト】
今回は某SNSで書いてた記事を編集しての投稿。
器用さや即戦力で楽器を選ぶのではなく将来を見越して選ぶという、かなり勇気の要ることをやっているのが凄く面白く印象的な出来事でした。
実際、そいつは今でもそのストラトをずっと使っており、多くの生徒を持つギター講師にもなっているのだから大したもんだなと。
ギター本体に対する物欲はほとんどなくなってるみたいですし、それだけばっちりハマったってことなのかこうなると文句も何も言えません
そう簡単には手に入らないであろう、
『自分の印』
絶対大事にすべきことだと納得。
「うわ!これいい!」と安易に判断するのとはちょっと違うその世界。インスタントではない楽器の選び方って実に興味深いものだと思います。
友人の不思議なストラト
初印象は最悪
久々に一緒にライブをやった友人ギタリスト。
いつの間にやらフェンダーカスタムショップのストラト(以下FCS)を使っていたのでびっくり。以前はサドウスキーTOKYOのストラトを使っていたのが今は完全にFCSがメインとのこと。
しかしま~ここだけの話、
「え・・どうなんよ?」
「そ、それ買ったの?」
となってしまったのが本音。
こう言うのもあれですがFCSに対する印象はあまりよろしくない自分。わざわざ手を出すことはないだろうって方の認識が強いかもしれません。そして予感的中、リハ時点での印象は限りなく微妙。か細く抜けてこない、出音も粒も安定しない。何が良いギターなのかさっぱり分からなかった次第。
「高い金出してさぁ・・」
「それはねぇだろ・・」
長い付き合いなだけに心底こう思ってしまいました。
あえて難があるものを選ぶ道
初見は最悪な印象。
「俺なら絶対買わねぇ!」
そう断言してもいいぐらいだったそのストラト。
ところがびっくり仰天。本番ではえらく良い音してて驚愕させられました。リハの時のひっでぇ音とグダグダは一体何だったのか?その最悪な印象がひっくり返ってしまうことに。
いや本当、楽器って分からないですね。狭い視野や偏見からでは見えない聴こえないことが沢山ある。勝手な価値観からの安易な判断はできないなと痛感。
で、本人談がこれまた実に面白い話でした。
「最低限の作りとバランスだけ確認して鳴ってない奴をあえて選んだ」
普通に考えたら意味の分からないこの選択がすごく興味深い。初見微妙、鳴ってない感ありあり、それを選ぶってどういうことだと。
それがしかも、明らかに良さげな候補を捨てての選択だったというのだから驚き。どう考えてそっちの方が完成度が高い、即戦力として使える印象にも関わらず選ばなかった不思議。
誰が理解を示すのだろうか絶対疑問が湧くこの話。 そうそう出来ることではないでしょう。
扱いやすく良い音が出るギターはもう通った道だった
もう一本の候補だった完成度の高いそのストラト。普通に考えればこっちを選ぶだろって言いたくなるはずの存在。
本人いわく、
「将来性を感じないギターだった」
「すぐ飽きるつまらない買い物になりそう」
こう判断した結果、鳴りが良くない方を選んだとのことです。「FCSなんか前じゃ絶対買わなかったよな~」なんて自分で言っちゃってたり、これは本当、悪評あるだろう面も完全に自覚しながら手に入れたってことなんでしょうね。
実際、最初はどうにもならなかったと言ってたのがまた面白い。その話の通り、こっちの印象もまさにその通りって感じ。
「何でそんなの買ったの?」
こう全力でツッコミたかったですマジで。でもそれが完全に覆ってしまうんだから世の中って分かりません。
完璧でもなんでもなかったそのストラト。諦めずに数年弾きこんだ結果、まったく別のギターに生まれ変わったそうな。本番での強さと激変っぷりもその自信と気合あってこそのものなのかもしれません。
以前はPU交換だのブリッジ交換だのそんことをよくやってたやつなんですが、そのストラトに関しては何もいじってないと言うのだからそれも驚きの一つでした。
パーツ云々の問題ではなく純粋に育ててきた自信と誇り。
「こいつは俺じゃなきゃ鳴らせない!」
黙っててもこんな声が聞こえてくるようなサウンドを叩き出してました。
浅く良くじゃ分からない世界がある
今の時代、それなりな音量で安定したサウンドが出てくれるギターなんてのはいくらでもあると思いますよね。スタジオミュージシャン御用達みたいな楽器も当たり前のように流通してるし、愛用者も多くなってきているものだと感じます。
一方、大きな音を出した際になんか違ったり、「ここぞ!」という時に腰砕けになってしまうものも多いのかなって印象。ヘッドホンじゃ分からない世界、ドカン!とアンプを鳴らしてこそのサウンドってのがやっぱり存在するのだと納得。
あのストラトの本番での音の強さには本当に痺れましたね。
「ギターってこうだよな!」
って唸らされてしまいます。
まぁ、本人のやる気、その場その時の問題が絡みすぎる、あまりに安定しないってのもそれはそれで困りますが、いずれにせよハマった時のあの強さと気持ちよさったらない。いくなんでもそこまで印象が変わるかってぐらい衝撃的ですらありました。
「ギターで綺麗な音出してもつまんねーじゃん!いつ誰が弾いても良い音出せるとか退屈だ!」
友人のこの言葉に感心させられましたね。
良くも悪くもですがこいつはこうあるべきだと納得。
自分が成長すれば楽器も成長する
「あれ?この話どっかで聞いた覚えが有るような?」
なんて思ったらこれ、自分にも当てはまりそうで笑ってしまいました。
・最初はまったくイメージ通りにならなくて苦労の連続
・何年か弾きこんでようやく納得できる音になってきた
そんな話が身近であったどころかまさに自分の身をもって体験していたなと。
楽器ならではの歪んだサウンド、悪いからこその格好良さってのが存在する不思議。綺麗なばかりじゃつまんない、自分の手で音をつくるべきってのも至極納得な話。個人的な好みから言ってもやはり、小奇麗でまとまった音が出てくれる楽器というのはあまり好きではない。
洗練されすぎない荒さや暴れがあるからこそ、ノイジーで気持ち悪い気持ちよさもあってこそ、理屈に合わない面も含めてこそのエレクトリックかなって考えさせられます。楽器は弾けば弾くほど成長することもあらためて確信。一本を弾きこむことの強さと意味も強く感じた次第。
「いざって時はこれ!」
こう断言できる一本を持っているのはやっぱり強い。そしてそれを育ててきた意味は絶対に大きい。これって実に心強く幸せなことでもあると思いますよね。前はそういうの全然分からなかったけど今だったらよく分かります。
自分のメインベースも10年後が楽しみで仕方ありません。
絶対の一本があるって素晴らしい
自分も楽器選びの迷走時期が長かっただけに心底痛感。
「俺=これ!」
こう言える存在があるって素晴らしい。
どの楽器でも良い音が出せる、自分らしい音が出せるのが理想、いわゆる『弘法筆を選ばず』が一番だと言うのも分かりますが、でもそれって一つには思考停止だとも感じるのも否定できず。
「なんでもいいや」
これが悪い方向に出ちゃうとよろしくない。かえって個性からは離れていってしまうんじゃないかと疑問も湧きます。
・絶対に好きな音
・絶対に出したい音
・絶対の基準
これを確立したいんだったら好きなものはハッキリしている方が良い。その意味でやはり、自分の中における絶対の一本がある方が道は分かりやすくなるはず。
ルックス的なところから見てもそうですよね。ぱっと見て、
「あ~、あいつね」
ってのが有るのと無いのじゃ天と地ほどの差。何か少しでも人に印象を残す方法手段。そこに楽器を利用するのも自分は有りだと考えます。
ついついこう器用で無難な方向か、逆に変な主張をしているものを選んでしまいがちなだったりしますが、それが果たして10年先も使えるものなのかどうか、自分が本当に必要としているのかどうか、そこに真剣に向き合ってみるのは悪いことではない。
安易な物欲に支配され、安易な満足感に浸るという、そこに疑問を持つようなのであれば尚更ですね。
10年先でも確実に側にいる一本、他では真似できない価値が存在しているであろう楽器、そんなことを言うと非常に重い選択を強いられているようにも聞こえそうですが、意識せずいつのまにかそんな付き合いになっていたなんてのも素敵なことではないかと思います。
いずれにせよ、
『限界を感じない楽器』
これが宝物なのは確かですよね。
弾けば弾くほど上手くなる。音が良くなる個性にもなる。ついでに経済的でもあるというまさに良いことづくめ。
できること、できないこと、好きなこと、嫌いなこと。自分の中にあるものをより強く認識、表現する意味でも大きな価値があります。