「黒人だから!」という思考停止の疑問
意外と黒人の方が具体的?
「天然!物が違う!」みたいなイメージが先行しがちな気がする黒人云々。自分としては強い違和感を覚えるこの手の認識。
「じゃあ黒人はグルーブについて何も考えないのか?」
こんな疑問が湧いてきます。
雑誌記事や教則ビデオなどはもちろん、クリニックなどで実際に話を聞いてみてもそうですが、案外、具体的に研究している人も多い印象強し。第三者に丁寧に教えられる時点で相当な研究を積んでいることを証明。考えないどころかしっかり試行錯誤しているではないかと納得までさせられます。
もはやある種の偏見と言うべきか、「黒人だから凄い!」なんてイメージの問題で安易に済ませてしまうのはかなり失礼な話。
誤解を承知で言うならば、意外と日本人の方がグルーブを曖昧に捉えたり考えたり、幻想や超常的な領域にあるものにしようとする傾向があるのかなって印象も。やれ農耕民族がどう、筋肉の質やバネが違うとか、円運動のイメージがどうだの、言いたいことは何となく分かるけど、正直、それらの大体が役に立たない気がします。
超奥深い領域まで踏みこむなら無視できない要素なのかもしれませんが、それにしたってグルーブに対して分かりやすく繋がる内容になるとは思えない。
「裏を感じろ!」
「溜めが大事!」
「絶妙な揺らぎが必要!」
なんて無責任に言うだけ、具体的には何の指示も説明もできなかったり、そんな話をよく耳にしたり目にもします。講師などに話を聞くにしても油断は禁物。テキトーな説明に終始していることも珍しくないから困った話。
そんなことを考えると本当、実は黒人(とくくるのもどうかって話ですが)の方がグルーブについて真っ当に研究、具体的に勉強になることを話していたりもするから皮肉。「勉強なんて言葉を使う時点で駄目だ!」なんて言われても知るかいなと。分かりやすいアドバイスを伝えてくれる方がまずはありがたい。
Chuck Rainey御大
黒人、グルーブと言われて思い付くとしたら例えばチャック・レイニー。グルーブマスターとして名が挙がることも多いこの方。
「理論を知っていれば後は運指を覚えればいい。ディミニッシュもオーギュメントも全て左手の中にある。」
「開放弦+5フレットまでの間にヘ音記号で表記されたベース音の全てが存在している。正しいフィンガリングを身に付ければ指板を見る必要が無くなる。グルーブを考えるならば運指が重要。」
「7種のモードスケールを知っておく必要がある。その中から自分にフィットするモードを見つけておくといい。」
「人差し指と中指を隣り合わせる運指が馴染むからフリジアンスケールとロクリアンスケールをよく使う。ドリアンスケールの時でも第二音に人差し指を移動してフリジアンの運指として弾く。エオリアンの時ならロクリアンの運指にする。」
この発言から天然野生児みたいなイメージを抱く人はいないはず。 チャックに対してそんなイメージを持っている人も少ないと思います。歴史に残るような超一流のスタジオミュージシャンであると考えれば当然、まったくの無知だったり純天然である方が有り得ない。
一方、単純にスケールを覚えるだけでグルーブが生まれるとか完結するとか、本人も含めそんなことは誰も考えていないでしょう。理論の習得だけで解決するわけがないからこそ苦悩すると。
「結局はセンスの問題になってしまうのか?」
「曖昧に位置付けして話すしかないのか?」
「自然発生的に身に付けるしかないのか?」
試行錯誤してもなかなか出口が見えるものではない。迷い出すと本当に頭を抱えてしまいます。
だからと言って極端に振れるのもどうかと思うところ。グルーブは理屈じゃないと考えたくなるのも分かる一方、それを変にこじらせて、
「音楽理論=悪!」
「自由を失うだけ!」
「結局は天性!」
なんて考え方に陥るのもかなり短絡的。黒人云々についても同様、そこで終わらすのは疑問。チャック・レイニーの場合、具体的なことを話せるだけでも凄いし、もちろん深い領域について触れることもできるから素晴らしい。
「黒人は物が違う!」なんて百っぺん聞かされるよりベースを弾くことが楽しくなる話をしてくれる人。その教養と人柄がプレイにもあらわれていると感じます。
理論も理屈も無視敵視 才能人種を幻想化するのはどうなのか?
イメージばかり膨らませて、「黒人には勝てない・・物が違いすぎる・・・」と変なコンプレックスまで抱く必要があるのだろうかとやはり疑問が湧くところ。
天性の素質だけで極めているような化け物がどれほど存在しているのか?この世の中、確かにそういう人も存在してはいるのでしょうが、そこを基準に考えたり比較もしたり、過剰な幻想を抱くのはどうなのか?何も考えない、考えようともせず諦めてそれでいいのか、何か楽しくなるのか、自分はどうにも納得がいきません。
グルーブマスターみたいな存在である大御所チャック・レイニー。そんな人が運指やスケール、読譜について当たり前のように語る事実。興味深いのはもちろん、すごく意義深いことでもあるはず。憧れや無いものねだりで済ますのではなし。何においてもやはり基本的な練習や勉強が必要だと納得。
「頭で考えるから駄目だ!」って言うのも分かるけど、何を弾いたらいいか全然分からない段階、楽器も合ってない、タッチもめちゃくちゃなど、それで高い夢を掴もうってのは無理筋としか思えず。
「黒人だから!」
こんな一言で終わらせてしまうような認識を持つことにはやはり反対。そもそもの話、それって全然面白くない、楽しくもならない考え方だから嫌い。
ニヤニヤヘラヘラしながら「日本人にゃ無理だから諦めろ」とか言われても超つまんない。「100m9秒台?夢見んな不可能だよ」なんてしたり顔で言う人間にはなりたくない。
素晴らしいものには素晴らしいだけの理由、探求する価値が存在するはず。
Chicのグルーブ談義
雑誌で読んでめっちゃくちゃ面白かったナイル・ロジャースとジェリー・バーンズのグルーブ談義。
やはりグルーブを生み出すための研究を相当にやっているのだと確信させられるインタビュー記事でした。
曖昧な話に終始するのではなく具体的な解説もあり。
どうグルーブするかだけでなくグルーブしないベースについても語る内容。
かなり濃い話で相当勉強になった次第。
その中でもベースを弾く身からかなり印象的だったのは、
「タッチミュートもリズムとしてカウントしている」
「このタッチミュートこそがグルーブを奏でる鍵でもある」
恐らくはゴーストノート(和製英語)のことを指すのだと思うこれ。
天然がどうの才能どうのなんて言葉で済ますには無理がある内容。
ま~、あれです。
「理屈じゃねぇ!」
って理屈のなんと役に立たないことかと納得。
裏を具体的に感じるには
先日も話した通り、
「裏を感じろ!」
なんてことがよく言われている世の中。
それをただ頭の中で意識して済ますのではなくポイントをしっかり認識して弾く、それを生み出すための秘訣がタッチミュートになってくると。
音程を出さないちょっとしたサウンドだとしても侮れず。
それが有ると無いとで聴感的にも体感的にも全然違ってきたりするから奥が深い。
これについて分かりやすいのはジェームス・ジェマーソンの真似。
1フィンガー奏法をやってみると結構具体的になってきます。
たとえば16分の裏伯に人差し指爪側のアップストロークを入れ、表を通常のダウンストロークで弾いてみるだけでもよし。
これだけでも本当、意外なぐらいニュアンスが変わってくるように感じます。
指一本で弾くなんて非効率なようだけど、グルーブのことを考えるならばむしろこっちの方が効率的な方法になったりもするから面白い。
裏と表の役割をはっきりさせる意味でも1フィンガーへの取り組みはおすすめ。
かなり具体的にポイントを突ける奏法と言えそうです。
タッチミュートを意識する
タッチミュートを入れるのは同一弦に限らず、低音弦の方から裏を加えて弾いたり、高音弦の方からレイキングで弾いてみたり、それを意識するだけでも変化が生まれてくることを確認できます。
バンドの中ではそんな聴こえないような音であっても、そのちょっとしたタッチがあることでリズムに対する認識が変化、シンプルなフレーズでもノリが変わってくるのが楽しい。
「溜め」だの「揺らぎ」だのそういったよく分からない微妙なニュアンスについても、タッチミュートを加えることでより具体性が出てくるはず。
ゴーストノートと呼ぶのも有りですが、
『タッチミュート』
こっちの方が自分的にはハマる印象強し。
このタッチミュートによるニュアンス作りとグルーブ作りを研究し始めると本当、驚くほどベースプレイが変わってくると実感します。
今更も今更、どこでも聞ける話だと感じるかもしれませんが、それだけに大事な基礎にもなる部分、良いタッチで確実に実践できるようになる意味は想像以上に大きい。
何気なく聴いていた音源でも、「あ!こういう事やってたんだ!こうやってグルーブ作ってたんだ!」と具体的に認識できるようにもなってくるとま~、楽しいのなんの。
弾くのも聴くのも別物な面白さになっていきます。
ファンク、ソウル、グルーブのお手本アルバム
自分は元々、ソウル・ファンクなどには興味がなかった人間。
それが変わったのはタッチを鍛えようと意識し出してから。
あまりに発見が多すぎたゆえ、少しずつハマっていきました。
たとえば以前はまったく聴かなかったダニー・ハサウェイのライブ盤。
これが今では名盤そのものと言える存在にまでなってしまいました。
とにかく圧巻なのはウィリー・ウィークスのベース。
まさにグルーブのお手本みたいなプレイ。
タッチミュートの話にしてもそうですが、以前は聴こえてなかったサウンドやニュアンスが発見できるようになると、このアルバムは加速度的に面白くなっていきます。
全然価値が分からなかったのから一転、超名盤として輝き出す奥深さ。
そのぶっといサウンドもグルーブも気持ちよくて堪らない一枚!
黒人だから!で終わらすのは勿体ないしつまらない
「黒人にしか出来ない!日本人には無理!」なんて思考停止したり、美味しい要素から何から放棄するのはあまりにもったいない話。
そりゃ、根本的には真似の出来ない深い領域があるのも確かだとは思いますし、言語から文化から何から、そういった全ての要素があってこそって話にもなるのは否定しません。
でも、それ言い出して退屈に諦めちゃうって馬鹿馬鹿しいですよね。
その流れだと極論、
「日本人はベースなんか弾いちゃいけません!」
みたいな話にもなっちゃうじゃないかと。
さらに極端にこじらせた場合、「黒人が電気楽器弾くなよ!」なんてクソすぎる話にもなってしまう可能性だってあるし、むちゃくちゃにも程があろうだろってツッコミたくなります。
「日本人にブルースを弾く資格はない!」だの「グルーブするなんて不可能!」だの、そんなどうでもいい洗脳みたいな施してどうするのか?
人生つまらなくなるだけではないかと。
「黒人のグルーブは!」って思わず語りたくなるぐらいに高い壁を感じたり、苦悩する気持ちは痛いほど分かります。
どうやっても真似できない、その次元にはたどり着けない、いさぎよく諦めるべきなんじゃないかってなるのも無理はない。
しかしあまりにも曖昧な認識に終始するのは疑問。
まったく理に適ってないばかりやって投げてしまうのはおかしい。
それがどうやって成り立っているのか?どうやって作られているのか?
もっと具体的に真剣に考えていっても良いはず。
・荒く豪快イメージとは裏腹に一音一音しっかり弾いている
・びっくりするぐらい細かい音符まで認識している
・グルーブのためにバンド全員が最善を尽くしている
案外、こういうものかって気がするところ。
天から降って湧いてくるのではなく、徹底的に追いこんだ結果かもしれません。
優れているものには優れているだけの理由があって当然。
それを探っていくことが無駄とは思いません。
な~んにも考えないし、すぐ諦める。
口を開けば日本人叩き、駄目だ駄目だの連続。
したり顔で腐すのが趣味、お説教して悦に入る。
そんなおっさんとか評論家の意見はどうでもいいんじゃないかと。
何をどう考えたってクソの役にも立たないでしょう。
好きなら好きでいいじゃないか。
やりたいことやって楽しけりゃそれでいいじゃないか。
「望むままを行え」
人の足を引っ張るより楽しんじゃった方がグルーブのためにも良いはず。
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