脱力は大事だけど疑問もある フィジカルが強いに越したことはない

脱力と疑問 根本的フィジカルについて 

脱力は大事

 

無闇な根性論や独学自慢なども最近では随分と減ってきた印象。

脱力することの重要性もよく語られているのではないかと思います。

 

縦振動のタッチの習得に挑むにも脱力が重要なポイントであり、力任せに弾くのではとてもたどりつけない領域があるように感じるところ。

 

左手のフィンガリングにしても、握力まかせではすぐに限界が来てしまいます。

無駄な力を抜くことがいかに大切か、上達するほどにそれを意識していくことになるでしょう。

 

机上の空論的な脱力思想には疑問を抱く

 

力を抜くことが大切なのは間違いありません。

一方、世にある脱力の話について疑問に思うこともあります。

 

あまり理想論や机上の空論のようになってしまうのもどうなのかと考えるわけです。

 

・すぐ指が痛くなる

・皮膚が安定してない

・根本的にスタミナが全然ない

 

こういった問題を脱力の意識だけでなんとかしようというのも、ちょっと疑問。

現実問題、ベースを弾き続けるのは厳しい気がするかなと。

 

もちろん、無駄な消耗をおさえたり、体への負担を減らすことには大きな意味があります。

急激なスタミナの強化・増大を目指すより、元ある体力を上手く使うことを意識するのは非常に有効。

 

でもやっぱり、根本的に厳しいぐらい体が出来上がってないのは辛いですよね。

それでは話も技術もなかなか噛み合ってこないはず。

 

「力はいらないよ」

 

この言葉を尋常でないレベルで鍛えてあげてきた人が言うか?

見るからに虚弱、実際に頼りない音を出している人が主張するか?

 

その意味も説得力もまったく違うものになってしまうように感じます。

 

座って弾くのが前提な感じだといまいち説得力がない

 

「脱力すべき!」

 

と言っても、ストラップと立奏の問題が抜け落ちてるようだと、個人的には強い疑問と違和感が生じるところ。

 

どんな軽い楽器だろうと、立って弾く時点で条件が違ってしまいますよね。

無条件に肩に負担がかかることは避けられないもの。

残念ながら、肩だけでなく首や背中の方にも影響があるのも現実でしょう。

 

腹筋や足腰が弱っていたりすれば、その影響も当然あります。

そんな中でただ力を抜くことだけを意識しても、問題は好転しないはず。

 

重いベースや多弦などを使うならなおさらですよね。

根本的な体力や筋力に余裕があるに越したことはない。

 

ウッドとエレクトリックと両方弾ける某ベースプレイヤー。

その方が「最近はウッド弾いてる方が楽だ!」と語っていたのを思い出します。

 

弾けない人間からすると、

 

「そんな馬鹿な!」

 

って言いたくなるこの意見。

実際に持ってもいただけに、あんなしんどい楽器があるかいなとツッコミたくなる。

 

しかし、その後の話に納得させられました。

 

・ストラップを使うエレクトリックの方と違いウッドにはその必要がない

・体の力も体重も使いやすいから肩こりなく自然に楽に弾ける

 

言われてみれば、なるほどって感じ。

思わずうなずいてしまうものがあった次第。

 

長年やっていてもそうなのか?

長年やっているからこそなのか?

 

その感覚は本人にしか分からないものですが、いずれにせよ、ストラップを付けてるだけでも負担が増すのは間違いないことでしょう。

 

それも長時間の演奏が常であればなおさらです。

立って弾く以上、無条件に負担がかかってしまうことになる。

 

まぁ、ちょっと論点がずれてると言われればそれも確かにそうかもしれませんが、体力がなくては何をするにも厳しいのは事実。

 

やはり、

 

「脱力!脱力!」

 

なんて言ってそこだけを意識したり、強調することには疑問を抱きます。

 

脱力=都合のいい夢物語ではない

 

ありがちな話、

 

「指の力を抜け!」

 

と言われても、それでどうしたら良いのかまったく分からない状況。

 

それが指先だけからくる問題なのか?

手首や肘・肩など、さらには全身の力みから来てしまっているのか?

 

その的確な判断は難しいのも事実であり、一言で済ますのは無責任だとも思います。

 

一部分だけを問題視したり解決しようとしても、上手くはいかない場合も多々あるでしょう。

ただ単に「力を抜け!」と言われても、正直、困惑するだけになることもよくあるかと想像します。

 

この世の中、生きているだけでも無意識の内にでも異常な緊張を生んでいたり、そういうことがあっても何も不思議ではありません。

 

歯を食いしばり、眉間にしわを寄せてシリアスに構えるなど、それでどうやって脱力をするのかという話になってしまう。

 

ましてや、ストレスや病気に蝕まれているような状態で本当に脱力ができるとも思えない。

 

どんなに健康でフォームも良かったとしても、前述した通り、ストラップを付けた時点で緊張や負担は生まれてしまうものです。

 

座って弾いて理想的な運指・運動をしていたとしても、負担から100%逃れるのは難しいし、そもそも楽器演奏自体がそういうものだと考えられもします。

 

そういう意味では極論、

 

『真の脱力など存在しない』

 

こう認識すべきなんじゃないかとも思ったり。

 

論点ずれてるっちゃそうだけど、現実逃避的な脱力術、完璧な演奏方法なんてものがあるとは考えない方がいい。

 

あったとしても、簡単に手に入るようなイメージをすべきではないと考えます。

力を抜きたいのであればこそ、その力みの原因を探ってしっかり向き合うべき。

 

現実は非情 だから体力も備えもあった方が良い

 

海外の超一流プレイヤーの演奏を見ると、その力の抜け方に驚かされます。

でもって、その体格の差や根本的なパワーの違いというのも痛感するところ。

 

ひねくれてたり穿った見方のようですが、そりゃ変に力んだり無理する必要なんかないよなと思わざるを得ないことがあります。

 

これはマッチョになれとかそういう話ではありません

 

『現実的な差』

 

これを把握すべきかと思う話。

 

163cmしかなく手も小さい自分。

そんな人間が力を抜くことだけ意識したって良いことはない。

恐らくは何をするにも厳しいでしょう。

 

ただでさえフィジカル面が貧弱なのに脱力ばかり意識してたらどうなるのか?

悔しい話ですが、残念なことになるのは明らかというもの。

 

このブログでよく触れる縦振動のタッチにしてもそうですね。

 

必要な弦の押しこみすら満足にできない、テンションに指が負けてしまっているという、そんな状態では根本的に色々と厳しい。

 

やはり、あまりにパワーがなさすぎるのは問題だと感じます。

 

『脱力』というのを、ただ力を抜くだけと捉えるのか?

または効率的な運動、理想的な力の使い方のことを指すのか?

 

このあたりのイメージの差や定義づけというのは、なかなか難しいものかもしれません。

 

「初心者がいきなり良い音を出した!」なんて話も世の中にはありますが、それそのまま成長できるとは限らないし、実戦的に弾けるのかも分からない。

 

いずれにせよ、いきなり達人の領域に到達できるようなことはないと思いますし、そんな都合の良い能力を持っていることを自分に期待するのも虚しいだけ。

 

また、そんな天才であろうと何だろうと、安定したコンディションを維持できるとは限りません。

どんな成長速度であれレベルであれ、上達や専門的な体づくりに時間が必要なことに変わりはないはず。

 

特にベースってのはしんどい面が多い楽器です。

弦は太いし、楽にチョーキングできるような張りでもない

ただ軽く撫でるぐらいのタッチじゃ良い音もしてくれません。

 

正直言って、楽器演奏はしんどいものです。

想像以上に過酷であり、泣き言を言ってられない体力、根性、集中力を求められる。

 

ここから目を背けることを「脱力」と言うのには強い違和感を覚える次第。

 

脱力して効率のいい運動をするのが大事なのは言うまでもないけど、一方、楽器に負けない体をつくることも重要であると考えます。

 

散々過酷なバッキングを要求された後、全力のベースソロまで求められたり、そういう状況は笑えないですよね。

 

しかし困った話、決して珍しいことではなかったり、それを当たり前のように求められる世界もあるのが現実。

 

一切の無駄や力みを排除した漫画的達人スタイルを目指すのも面白いですが、やはり、地道に鍛え上げていくのが確実であり、実戦的でもある。

 

逆説的と言うか、そもそもこちらが先行すべきと言うか、そうやって余裕と自信を身につけるからこそ、脱力もできるようになっていくものかもしれません。

 

「ないない尽くしと現実逃避の後に理想の脱力がある」

 

こんな都合の良い方法論は存在しないでしょう。

 

「弱者や貧者のために技術と修練が存在する」

 

こっちの方が現実的であり、考え方としても自分は好きですね

 

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