飽き性、根性なし、低モチベ、ダメ人間でもベースは20年以上継続できた

何で20年以上ベースを続けられたかを考える

にわか気質、飽き性だから続いた気もする

 

ブログを書きながら中学時代を振り返ってみて思ったのは、非常に忙しく詰めこんでいったこと。次々に色々な情報を仕入れて楽しんでいたのが分かります。一方、深く取り組んだものが実はなかったような気もするのも正直な話。今でもそうですが、とにかく飽き性でニワカ気質な自分。一つのスタイルだけに集中するとか極めるとか、そういうことには向かないんだろうなと痛感しています。

 

とは言え、それも考え様ですかね?だからこそいまだに懲りも飽きもせず、20年以上もずっとベースを続けてこれたのかもしれません。所有してきたベースにしても、4~6弦、フレットレスにアコベ、ウッドにピッコロなど、使い道もジャンルも関係なく、めちゃくちゃに入り乱れてましたね。

 

今だからこそ、「俺はこいつを弾く!」って一本があったりしますが、それまでは本当に節操なかったですし、買っては売りの返しでなんとも落ち着きがなかったなと。聴くものについても同様と言いますか、本当に節操ないと思うところ。

 

影響を受けてきたベースプレイヤーを簡単に並べてみると、

 

TAIJIさん、スティーブ・ハリス、マルコ・メンドーサ、ジョン・ミュング、ジャコ・パストリアス鳴瀬喜博さん、ネイザン・イースト、アンソニー・ジャクソンスコット・ラファロマーカス・ミラーラリー・グラハム、ジェフ・バーリンスタンリー・クラーク納浩一さん、リチャード・ボナ、ヴィクター・ウッテン、マシュー・ギャリソン、ブライアン・ブロンバーグ、ヴィクター・ベイリー、チャーリー・ヘイデン、スティーブ・スワロー、ノーム・ストックトンマイケル・マンリング、ウィリー・ウィークスチャック・レイニージェームス・ジェマーソン、福田郁次郎さん

 

などなど、挙げるとキリがないかもしれません。

 

逆に、一つのものしか受け入れることができないとか、それを徹底的に追求することしか許さないなんて場合、自分だったらすぐ折れてしまっている気がします。折れる前に逃げてしまうと言いますか、脇道に逸れてしまうと言いますか、テキトーに曲がりくねって進んでる方が性に合っているんでしょうね。

 

飽き性で中途半端だからこそ、新鮮さを失わなかったと考えればまぁ、それも決して悪いことでもないのかなと最近は開き直ってます。良いも悪いも考え様。飽きやすいのが良いのか悪いのか、それも考え方次第、見方一つで変わるもの。 あーでなければいけない、こーでなければいけない、堅苦しいのは苦手。他人の意見はあまり気にせず、やりたいことをやるのが一番。

 

シンプルに刻むのも楽しいし、メチャクチャに弾きまくるのも楽しい。ゴムみたく弾む音も良いし、バッキバキの金属感も良い。短く弾いても長く弾いても、叩いても押しても何しても、ベースは面白い楽器。それゆえに飽きない、楽しい。才能なくても極めなくてもいくらでも遊べます。浅くも深くも、広くも狭くも、なんでもありですね。

 

やる気・モチベーション依存 その危うさと疑問

 

尋常じゃない出世欲、明確な目標とその実現の為に動くなど、そういったエネルギーが人を突き動かすのは事実。一方、そういった気持ちに依存するのは怖い気もします。何をするにも精神的な動きに極端に左右されてしまうようになると、行動のすべてが重くなったり、無駄に疲れることも多くなるように感じます。

 

20年以上も楽器を弾いているとやはり、やめていった人達というのもそれなりに見てきました。情熱に満ちていたり燃えてることをアピールしているような人ほど、気持ちが切れた時には意外なぐらい弱くなる印象もあるから不思議なもの。それに頼っていた分、驚くぐらい無力にもなる場合があるのだから皮肉。

 

・気持ちの流れが来ないと満足に作業できない

・無理に鼓舞しなければ行動できない

・実は楽しくも嬉しくもないことを自分を騙しながら続ける

 

これはかなり危うい不安定な状況なんじゃないかと疑問になる次第。

 

重症になってしまい、

 

・やる気やモチベーションがないこと自体に不安を抱く

・気持ちばかり優先してネガティブになって焦る

・必要以上に考えすぎたり完璧を求めて動けなくなる

 

こんなことになったらそれこそ本末転倒かなと。

 

で、自分はこの『モチベーション』って言葉が嫌いだったりします。この言葉をやたらと聞くようになったのはいつ頃からなのか?それもちょっと気になるところ。スーパーアスリートとか第一線で活躍するような人達。彼らが己の限界や進退に悩んだ状況などで使うのなら分かります。自らを限界まで追いこむような状態を長く続けるというのは本当に至難の業。肉体の面だけではなく、尋常ではない精神的なエネルギーも必要とするでしょう。

 

一方、普通の暮らしレベルの話やちょっとしたことをするにも「モチベーションが」とか言われると正直、違和感しかないような?気分のせいにする言い訳の常套句として、

 

『モチベーション』

 

この言葉が使われてしまっている印象も強い。

 

前にやってたバンドで笑ったギタリストの台詞。明らかにやる気のないリハで放った言葉をいまだに覚えています。

 

「やる気はあったけどモチベーションが上がらなかった」

 

衝撃的でした。

 

その辺考えると人間ってのは不思議なもの。「やる気なさそうなんてよく思われる身であるわたくし、実際その通り、周囲に伝わる分かりやすい熱い気持ちにやる気など、そんなものはあまり無さそうです。しかしまぁ、それで意外と物事が続いてしまったり、楽器も上達してしまったりするのだから、何が正解なのか分からない。変な話、このブログにしても精神的なエネルギーに依存していたら、とても続いてなかったでしょう。

 

ちょっと極論なようではありますが、

 

・異常なテンションで燃えてるのが平常運転

・特に意識せずともやる気がある状態が普通

・無理に鼓舞せずとも自然と上に行けてしまう

 

こういう人達はまた別種と言いますか、そんな領域を基準にして考えるのはどうなのなかって話ですよね。そんな超人を引き合いにするのはそもそもおかしい。モチベーションの有無の段階で苦悩したり自分を卑下するのも不毛。それで人生を楽しめくなったり、喜びを人に依存するようになるとか、自分的にはそういうのは勘弁かなぁと。他者のモチベーションの低さに絶望したり引きずられたり、それで己を見失ったりするのもどうなのかなと思いますよね。

 

燃えるような情熱と一時の喜びが忘れられず、

 

『やる気至上主義』

 

こうなってしまうのも怖いところ。

 

言うまでもなく、な~んの反応もない無感情・無気力がいいってことではありません。もろく揺れる気分的なものを絶対視、神聖視するのはどうなのかという話ですね。『モチベーション』という言葉を手に入れたことで弱くなっている人も多いんじゃないか?そんな疑問も湧く次第です。

 

褒められてもそこまで嬉しくならないからこそ続いた気もする

 

人間、いつだって悩みあがくもの。

 

・どんなに上達しても常に課題と共にある

・そのつど自分の欠点に気付いて落ちこむ

 

真剣にやってる人ほど、多いんじゃないかと思います。

 

そういうふりをしてるとか、謙虚気取ってるなんてことではなく、課題と現実を厳しく捉えているタイプと言いますかね?誰が見ても上手いだろうに、「なんで俺はこんな駄目なんだろう・・」と打ちひしがれてる人がいたりするのも、決して珍しくはないことではないかと感じます。

 

プロでやってるような人の皆が皆、完璧な演奏で基礎もしっかりしているのか?これが意外とそうでもない印象もあるから面白い。むしろ、そのあたり全然なってなかったり、それを自覚して危機感すら抱いているような人もいるはず。

 

ライブ後、ファンにお礼を言ってる一方で、

 

「お前に何が分かんだよ・・」

「今日最悪だったろ・・」

「何でこんな情けねぇんだ俺は・・」

 

なんて、ドス黒い何かが湧き出てることなんかもあるかもしれません。

 

実際、某超絶ギタリストを観に行った際、アンコールの声に対してクッソ不機嫌そうな顔で渋々出てきたことなど思い出します。世界トップクラスどころか、伝説的なレベルの恐ろしい次元のプレイヤー。それでも悩み苦しみ、失敗を重ね、もがくものなんだなと。人間、上を見ようとするならば、常に何かと闘わなければならないのだと感じずにはいられません。

 

自分もどちらかと言えば、ひねくれていたり歪んでる方の人間。褒められたとしても、真に受けない面倒な性格です。誰かに「上手い」と言われようがなんだろうが、悪い部分が気になって仕方ない。出来ないことがあると不満を抱いたり不安になるのが常。ライブなどでのミスもよく覚えてたり引きずったり、そういうタイプでした。

 

自分の人生を振り返ってみると、楽しい時間がほとんどなかったことを否定できません。苦悩に満ちながらベースを弾いてた時間の方が多かったんじゃないかと思うところすらあります。そんな楽しい事ばかりではなかった現実を過ごしてきましたが、良くも悪くも最近はだいぶ気楽になってきた自覚がありますし、力は抜けてきたように感じます。

 

でもやっぱり、そんな急に明るく素直な人間にはなれません。

 

「音楽は世界を救う!」

「人類の共通言語だ!」

「喜びを分かち合う!」

 

こういう言葉とか姿勢は今でも全然響かない。その方が楽しい、豊かになれるのが分かっていたって、無理なものは無理。それが苦手で受け付けない人間もいるってことですね。

 

褒められたら素直に喜ぶ方が健全。確実に前向きで人からも好かれやすいでしょう。一方、それが主たる原動力や目的になってしまうようだと、実は辛い面もあるんじゃないかと想像します。極端な話、他人からの影響でしか自分を動かせなくなってしまうとなると、逆に不安定になったり、精神的に揺れやすい状態にもなりそうな気がするところ。

 

多くの人達から力を貰ったり、支えてもらうことによって生まれるエネルギー。それが計り知れないというのは分かります。完全に一人だけでやれることなんてたかが知れている。でも、非常に大きな力になるだけに、それが得られなくなった時の弱さや怖さというのもあるんじゃないかと考えるわけですね。やる気やモチベーションに頼ったり、それをしかも他人に求め依存してしまうようだと、実は凄く危うい状況になってるようにも思えます。

 

自分の意思とは関係のない人生を送ることになるのは辛い。他人の喜びを主にした燃料と機関を身に付けるというのは、自分としてはあまり歓迎したくありません。と言うか、やろうと思っても絶対に無理。たぶん、あっさり精神崩壊して終わります。

 

・誰に褒められてもそこまで嬉しいわけでもない

・自分勝手極まりなくいつまでたっても幼稚

・人に嫌われやすく誤解もされやすい

 

普通に考えれば、とても良いとは言えないだろうこういうタイプ。人間として腐ってると言っても過言ではない。しかし、それも捉えようによっては意外と武器になるもの。「もっと頑張ろう!この人に認められるようにしよう!」とか、そうやって強く影響されることがあまりなかったからこそ、自分は楽器を弾き続けることが出来たのかもしれません。他人にモチベーションを依存しなかったからこその継続とも言えそうです。

 

何も背負ってない、人間的に大した成長もしてないってのも否定できないのも確か。ろくな人脈もなければ、出世なんてものとも無縁でしょう。それでもベースを弾くのがいまだに楽しいし、生涯ずっと研究し続けられる確信もあります。基本ネガティブで飽き性で覇気もないけれど、ベースだけは続いたという不思議。自分で言うのも何ですが、これは本当に面白い話。

 

「素直で綺麗で明るい

 

「そんな立派な人間じゃなくて良かった!」

 

こんな極論も言えちゃいそう、それで案外良いのかもしれない人生。天下無双の豪傑、聖人君子、お釈迦様、資質が無いなら目指す必要なんか無いし、その対極だって継続は出来ますね。

 

自分を潰してしまう考え方や心理、継続成功の考察

 

ベースを始めて20年以上。

人生振り返ってみても他にこんな続いたものはなし。

 

しかも面白いことに、

 

「才能ない・・」

「もうやめよう・・」

 

なんて考えた記憶がまったく無かったりします。

 

唯一、ジャコのドナ・リーを初めて聴いた時に、

 

「これが天才ってやつか!」

「こりゃものが違ぇわ!」

「ベースやめろって言われてるみたいだ!」

 

なんて感じたことはありますが実際にはベース熱がより燃え上がったり、やめようなんて考えたことはやはり一度もありません。

 

と言うより、

 

『やめる』

 

この意味が分からないのかも?

それを選択するメリットが何もない。

 

『休む』

 

こっちは分かりますが全てを諦め投げだす意味は本当に分かりません。

 

Lv1で魔王に挑もうとする疑問

 

実に変な話だと思うのがこれ。初心者なほど大きな敵や絶望と闘っている人が多い印象。なんでそんなシリアスで自分に厳しいのかと疑問になったり。

 

どんなに才能豊かで選ばれた血筋の勇者でも無理なものは無理。Lv1で魔王に挑んでたらそりゃすぐゲームオーバーになりますよね。と言うか魔王に挑むどころかそのへんで行き倒れて終わり。

 

地道にやるにしてもその根底に、

 

「楽器を弾く事は天才にのみ許された特権!」

 

こんな空気や掟を自分でつくっても息苦しくなるだけ。

 

ましてや、

 

・段階や過程など必要ない

・いきなり完璧なところに辿り着ける

・地道な積み重ねなど不要

・一瞬で理想の自分になれる

 

こんな能力が自分に備わってると期待するのはあまりにも現実的ではない。創作の世界ですら「えぇ・・」と引かれてしまう設定でしょう。

 

『まずは地道にレベル上げ』

 

これがゲームの王道な楽しみ方ではないかと。

 

裏技や超能力的に上手くなる方法、都合の良い魔法みたいなものを求めたりするから、すぐ破綻するんじゃないかと感じます。

 

好きこそ物の上手なれとも限らない?

 

好きだからこそ凄い力を生むことが間違いないと思う一方、好きすぎるからこそ悩み苦しむのも分かる話。強すぎる気持ちが途切れた時に綺麗さっぱりしたくなったりもするから人間とは不思議。

 

実際、一点だけを見て突き進もうとした人の方が案外、ぽっきりと折れてやめてしまったり、自らに厳しい掟を課したり重い選択を強いて潰れていくのも目にします。

 

・才能豊かで素晴らしい曲を作れる

プレイもオリジナルで魅力的

・とにかく音楽も楽器も大好き

 

これだけ聞くと理想的なようですがその一方で、

 

・完璧主義で思い詰める

・考えすぎで練習すらできなくなる

・結局は音楽から離れてしまう

 

こんな例も珍しくはない。と言うか実際にいました。

 

「死ぬほど好き!

 

この言葉の通り最悪は命を絶ってしまう人などもいます。言いたくないけどこれも実際にいました。しかも一番尊敬していた恩師だったという悲しさ。近しい人でそういうことがあると本当、色々と考えさせられますよね。破滅を変に美談にしたり称賛するのもどうなのかって疑問になります。

 

皆が皆そこまで行かなきゃならないのか?人生を犠牲に命がけを前提に目指さないといけないのか?それで本人は満足だったのか幸福だったのか?答えは出ませんが疑いたくなることは多い。

 

そういう人達と比較した場合、命もかけずダラダラ続けてるだけの自分なんか大して音楽もベースも好きではないと言えるのかもしれません。

 

『志も夢もない人間』

 

こうも見なされそうですよね。

 

一方、最期まで楽器も音楽を続けられそうではあります。まだまだずっと長く楽しむこともできそうなのだからある意味では皮肉。

 

・好きすぎて思いつめ壊れていく人間

・適当でいい加減でも続けれられる人間

 

どちらが好きなことをやってると言えるのか?

そもそも比較して考えるべきことなのか?

 

なかなか興味深い人生のテーマです。

 

飽き性だと常に新鮮だったりする

 

中学時代だけでもあれやこれやと色々と忙しく詰めこんだ身である自分。見方によってはほとんどがニワカで終わってしまってるのも否定できないところ。

 

「幅広い音楽性」

「ジャンル関係なく」

「柔軟性がある」

 

良さげな言葉に聞こえそうではありますが疑問になる点も多々あります。

 

言いかえてみれば、

 

・何も極めた物がない

深く入り込んだ事もない

・好きにも真剣になれない

 

こんな弱点でもありそうです。

 

「このバンドのアルバム全部集めるわ!」なんて気合もなかったり、誰か個人を徹底的に研究したこともないし、曲を深く分析するなんてこともしませんでした。中学文化祭でやったバンドなんかにしても突貫工事のその場しのぎって感じだったり、悪く見ればかなり音楽をなめていると言うか、やっぱりニワカ気質で深みがない。

 

一方、それが功を奏してか常に新鮮な気分ではいましたし、飽き性だったからこそ色々と知ろうとすることができたのも確か。根性がないから弾けそうな曲からやったり、壁を感じたら勝手にハードルを下げる。難しいのは後回しにして他から進もうとしたり、そういうのが良かったのかとも思ったり。

 

悪い方向に考えようとしたり、あれがないこれがないと思い詰めた場合、人間っていくらでも簡単に落ちこめますよね。弱者であることを認めるのも時には必要なのかもしれません。それは必ずしも悪いことではないと考えた方が逆に前向きにすら感じます。

 

絶対に手に入らないものを追いかけ続けるには自分はあまりに軟弱。だからこそ楽しいところにエネルギーを注げたような気がします。

 

どんなに小さくてもいいから成功体験は欲しい

 

物事の継続において大きな力になるのはやっぱりこれなんでしょうね。手応えを感じて喜びと楽しみを実感できるからこそ続けられる。この基準をいきなり異常なところに持っていこうとするから、話がおかしくなってしまうんじゃないかと想像。

 

自分の音楽体験で言えば最初の成功は中学の文化祭。たかがガキの遊び。されどその一歩があってこそ。逆に、そういう子供の遊び程度の喜びすらも体験したことがない、地道に積み重ねた結果を実感したこともないとなると、楽しさや面白さがいまいち分からないものなのかもしれません。もしくは失敗の体験がほとんどなく成功があまりに大きすぎたがゆえ、後で苦労することになるなどそういうこともあるはず。

 

武道館だの東京ドームに出演、華々しいデビューに世界ツアーだの何だの。そこまで行ってはじめて成功と見なされるのであれば自分なんかカスみたいなもの。カスどころかこの世に存在してないも同然。

 

これは自分に限った話ではないでしょう。世の中のほとんどの楽器奏者がそんな扱いになってしまうはず。 もっと言うならば観客からその場に関係ない人まで含めてすべて。実に無数の人生が失敗している扱いになってしまいます。

 

しかしまぁ、普通に考えてそれは無茶苦茶な認識だと分かるところ。そもそもの基準値がブッ壊れてるのは恐ろしい話。極論ですがその極論に潰される人もいるだろうから恐ろしい。

 

小さなことでも何でもそれを成功成長と肯定。一つ一つ積み重ねることが重要。綺麗事のようですが実践は極めて困難。些細なことでも楽しみ喜ぶのは意外と難しいもの。自己肯定感の薄い人も多いであろうこの世の中。人の成功を妬んだり苦しむ人も同じく多いだろうこの世界。 その重力に引っぱられ続けていると悲惨ですが残念ながらこの力は絶大。

 

ゆえに小さな成功でも成果でもなんでも喜んだ方が得だと考えます。自らも他者も否定ばかりの人生は色々辛くなるばかり。

 

千里の道も一歩から

 

お約束なことわざ。でもまさにこれなんだと思いますね。

 

「一曲弾けるようになった!やったぜ!」なんてことすらなく完璧を目指しても辛くなるだけ。上ばかりを見て自虐超人になるのは避けたいもの。あまりに遠すぎる世界を見る夢想家になるのも勘弁。

 

・飽き性だから新鮮さを求める

・体力がないから技を身に付け

・根性がないから我慢せず休む

・才能も華やかさもないから現実を見る

・難しい事は出来ないからシンプルにする

 

なんでも考えようであり地道に長く楽しんでこそですね。

 

「一日一小節!」

 

こんな低い志と目標でも長く続ければ確実に上手くなれます。少なくともすぐ諦めてしまう人とは比較にならない積み重ねの差が生まれるのは間違いない。

 

もう少し付け足すのであれば、

 

『諦める上手さ』

 

これを身に付けるにも継続は必要なことだと感じる次第。

 

練習方法が間違ってる、明らかに向いてない方法があるなど、そういうことに気付かないまま一生懸命に続けるのも悲劇です。こういう時に『飽き性』『根性なし』を上手いこと使えると便利ですね。成果がまったく感じられないもの、積み重ねを感じられない苦行は切り捨てられます。

 

一時の輝きを掴んで後は転落するか?10年積み重ねてさらに進むか?一生の生き甲斐として楽しく続けていくか?特に何も考えずとも勝手に一生続けちゃうか?人生、何が起こるかどうなるかも分かりませんが、長い目で見る事も悪くはない。下手に目標があっても達成できなければ折れてしまうかもしれないし、過激な自己追求や破滅の美学がかっこいいとも限らない。何が強いのか弱いのか、見方次第でどうとでも変わってしまいます。

 

始まりがあれば終わりもある。でも終わってからもう一回始めたって良い。始まりさえあればどこまでも続けられる。折れても曲がっても砕けてもまた始められる。そしてそこに実は大した決意も強さも要らない。「何かまたやりたくなった」でも十分。

 

継続とは命の使い方と楽しみ方。

 

才能の有無、楽器の上手い下手ではないでしょう。

 

オリジナルマガジン

note.com

 

note.com

 

note.com